ポケベルが鳴らなくて〜爆発した〜
ヒズボラでポケベルが爆発して、20人が死亡450人が負傷?(2024年9月20日現在のレバノン情報)17日18日と中東のレバノンで相次いで、ポケベル(なんじゃそれ?という人は自分のスマホだと思ってください)がいきなり爆発したそうです。
ちょっと怖すぎると思いませんか? 皆さん想像してみてください。ポケットに入れたり日常的に持ち歩いたりしているスマホが、いきなり手榴弾に変身するのですよ。自分は木っ端微塵に吹き飛び、まわりの人も大ケガをしたり死んだりします。それが敵からの送信電波で一斉に起きるのです。
なぜスマホでなくてポケベル(ポケットベル)なのか、というと今ヒズボラでは携帯電話の使用が禁止されているからです。日本でもガラケーが普及するまでは、みんなポケベルを普通に使っていました。僕も職場で支給されて持たされていました。
携帯電話のように音声で話したり、メールを送ったりはできませんでしたが、数字だけは送信できました。それでも有線の電話しかない時代に、急に連絡が取りたい時に、無線の電波を使ってメッセージを送ることができるのは、画期的なデバイスでした。
1993年には秋元康さんが作詞、後藤次利さんが作曲した、いわゆる当時のゴールデンコンビによるシングル・大ヒット曲「♪ポケベルが鳴らなくて」というJ-POPがありました。歌詞はこんな感じだったと思います。
ポケベルが鳴らなくて
恋が待ちぼうけしてる
私の方から
電話できない
現実より
愛している
男女の切ない恋心を歌った曲ですが、当時のデートの待ち合わせには、ポケベルが使われていました。要するに固定電話から自分の電話番号を送ると、受けた側はすぐに近くの公衆電話から電話をかけ直す、もしくは数字で短いメッセージを送る。という仕組みです。
携帯電話が普及した今では実に不便に思えますが、他に無線を使った個人向けの連絡手段はなかったのです。渋谷のハチ公前には公衆電話が沢山設置され、それぞれに長い列ができていました。仲が良い同志なら「愛してる」を数字で表すとか、「少し遅れる」を数字だとなんとか、工夫して使っていたようです。
ようです。というのは僕自身は恋人への連絡といったロマンチックな使い方はしてなかったからです。当時は僕のような下っ端は外回りの仕事でどこへ出かけているのかわからん。ということで職場の上司からポケベルを鳴らされると、急いで公衆電話を探し、職場のデスク(上司)に電話しなければなりませんでした。
用件はだいたいが新しい追加任務の指示や、変更事項、状況報告などで気が重かった印象があります。ズボンのベルトの右前あたりに、万歩計のように着けるようにしていました。公衆電話もいたるところにありましたが、今のようにテレホンカードが使える緑の公衆電話ではなく、10円玉か100円玉を入れるコイン式の赤い公衆電話でした。
そのため小銭は常に大量に持ち歩いていました。東京と大阪など長距離電話だと100円玉がチャリーン、チャリーンと減っていき、恋人との長電話だと「もうこれが最後の100円玉だから長くは話せないの」「うん。じゃあそれが切れるまでは君の声を聞いていたい」「もしもし。もしもし」「もしもし、もしもし」ガチャン。というエピソードもありました。
喫茶店などにはピンク色の公衆電話があり、電話は受けられるけどこちらから架けるにはコインが必要、という中途半端な公衆電話もありました。お店側が端末を管理していて、お客からは通話料金を預かるという仕組みです。
今だから言うけど赤い公衆電話には、今まで誰にも話したことがない、スパイ映画のような裏技がありました。その技を使えば10円玉がなくても電話が架けられるのです。電電公社(今のNTT)の方には申し訳ないけど、僕はその裏技を一回だけ使いました。
阪神淡路大震災の時の被災地で、取材中に使ったのです。被災者の方の自宅へ電話したかったのですが、貴重な赤い公衆電話は既に10円玉で一杯になっていて、NTTの担当者も回収に来られる状況ではありません。焼け野原ですから。物理的にこれ以上10円玉が入らない=電話が架けられない。勘のいい人はもう裏技が分かったかと思います。
そうです。赤い公衆電話を本体ごと持ち上げて逆さにし、数回ガチャンガチャンと振り、それから元の位置に戻すとあーら不思議。普通に電話が架けられるんですね。公衆電話の中に溜まっていた10円玉が、投入口までいったん戻り、再度コインが投入されたと認識されるのです。
良い子の皆さんは決して真似しないでくださいね。今の緑の公衆電話ではこの裏技は使えませんから。フォーンブースごと持ち上げたって無理です。僕はこういう裏技を自分のミッションのために色々知っています。また話せる機会があったら書きましょう。
話は大きくそれましたがヒズボラですね。中東情勢についてここで説明するのは避けますが、僕はどちらかというとパレスチナ側にシンパシーを感じる立場です。村上春樹がイスラエルで受賞スピーチの中で語った言葉を借りるなら、
「硬い壁に玉子があたって割れるなら、私は壁より玉子の方の味方に付く」
「その通りです。それ以上書くと僕がモサドに消される、という訳ではありませんが、他の多くの善良なイスラエル人や善良なユダヤ人に配慮してもこれだけは言わせて下さい。
今回のポケベル爆破事件の犯人はモサドでありモサドはテロリストである。
モサドはアメリカで言えばCIA(諜報機関でありながら軍事力を持つ唯一の組織)や、イギリスのMI6、ロシアではKGBといったスパイ(インテリジェンス機関)です。しかし情報収集に留まればいいものを、武力攻撃に乗り出し、民間人まで犠牲にしては、もはや諜報機関ではありません。
国連のグテーレス事務総長は18日に「民生品を兵器にしないことをルールにすべきだ。各国政府は、それを実施することができるはずだ」と述べて、強い懸念を示しました。これはさすがのアメリカも擁護しきれないでしょう。
陸海空の三軍にプラスして、宇宙軍と情報軍の五軍で成り立つ現代。もはや銃を背負って匍匐前進している場合じゃありません。空軍は無人機やドローンをゲームのリモコンで操り、ミサイルは宇宙からの電波で飛び、様々な形のサイバー攻撃やフェイクニュースで敵国の撹乱を狙う。
今回のポケベル爆破テロは、ある意味で核兵器よりも恐ろしいかも知れません。心理的な恐怖をもたらすには、いつ自分が狙われるか分からない、それも電話回線一本で。それが効果的です。僕はスマホをズボンの右前のポケットに入れているのですが、そのあたりがなんかモゾモゾします。真っ先にやられるのが自分の一物だからでしょうか。
昨日は昼間から「モサド最強!モサド最強!」と大声で叫びながら自転車で走っている酔っ払いを見かけました。まだモサドの犯行と断定されているわけではないのに。戸越銀座は面白い街です。恵比寿の時も面白かったです。地下鉄サリン事件の朝、「やっぱりオウムだわ」「オウムよね。オウムのサリン」と駅前で立ち話している主婦らしき人たちがいました。
オバチャンたちの会話のあと、僕は出局して昼すぎに報道センターに、確認しに行ったら「まだ犯人が何者かは不明」「毒ガスという説もあるがサリンかどうかは分からない」という状況。意外と街の声というのは迅速かつ的確です。一般人といえども無視できないですね。
選挙が近付く中、戸越銀座から永田町の皆さんに言いたい。オバチャンたち街の声を軽んずるなかれ。日本国民はそこまでアホではない。
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