今から30年前のフィルム時代の写真が、簡単にスキャンできるようになったので、今日は最初に飼った猫の写真をデスクトップに広げながら仕事をしていました。和むでしょう?

まだ猫の魅力もでてこない、生まれたばかりの仔猫で、乳臭いというか小娘というか、何だかわからない動物でした。猫が猫らしい魅力を発揮するのは、ちゃんとした大人の猫になってから、というのが僕の考えですが、この仔猫には一発で魅了されてしまいました。

僕が、というか正確に言えば当時の僕の妻が、大のネコちゃん好きで、僕がある日家に帰ると、仔猫はすでにそこにいたのです。「みゃあ」と小さな鳴き声をあげて、僕を見上げました。

「飼っていいよね?」

イエスもノーもない。僕は運命的な出会いをしたのだと思いました。彼女はキリという名前で、血統書付きのアビシニアンです。六本木のZOOというペットショップと動物プロダクションをやっている店で、前の猫の代替えとして1万円で手に入れたといいます。

前の猫というのは、妻がZOOで10万円くらいで手に入れた仔猫で、静かなのでシズという名前を付けたら、本当に身体が弱く、わずか2週間で他界してしまったのです。妻は悲しむより、ZOOに対して怒っていました。これじゃ初期不良よね。というわけで僕はZOOにちょっとクレームの電話をしました。

その後、妻はZOOに行って、「夫はテレビの仕事してるから、今後は全て湘南動物プロに発注する、って言ってたわよ」と脅したそうです。僕が最も嫌いな、権力を笠に着たような物言いです。そんなところで僕の名前を出すな、と大げんかになりました。

それから一月して、ZOOの店長から連絡があり、妻は半ば脅すようにして、とびきり上質の仔猫をただ同然で手に入れたのだそうです。キリは猫なのに本名の姓と名があり、本屋で売っている「猫の飼い方」というような本に、アビシニアンの代表みたいに、キリのおじいちゃんの名前と写真が載っていました。

本にも載るほど血筋が良いんだね。と僕が言うと、妻は「猫に血筋は関係ないわ」と言って、それでも「猫かわいがり」という言葉がピッタリなほど、全力でキリに愛情を注ぎ込んでいました。犬と違って猫は首輪なんてしないし、けっこう自由を謳歌する動物です。

半のら、というか家の中で、束縛されるのを嫌う動物です。僕の友人も半分野良猫みたいな猫と暮らしていました。ですがキリはぴったり人間に寄り添って、家の中から逃げ出すことは決してありませんでした。僕は当時住んでいた東京の代官山界隈で、散歩するときも買い物するときも、キリを肩に乗せていました。

人間の肩に乗って、逃げ出そうともしない猫は、ちょっと珍しいらしく、若い観光客がキャアキャア寄ってきました。僕に、ではなくキリに、です。そんなキリですが、一度だけ大脱走したことがあります。

僕は3階に住んでいたのですが、そのマンションの1階はフレンチの高級料理店でした。天気の良い日にはテラス席にテーブルが並び、昼間からシャンパンを楽しむお金持ちが愛顧していました。お値段もそれなりで、僕なんか客として一回行ったきり、とても支払えないと諦めていました。

初夏の天気がご機嫌に良い日に、僕はベランダも開け放して、昼寝をしようかと思っていた時です。

「キリ、そっち行っちゃダメ!」

という妻の声が聞こえてきました。キリが我が家のベランダから、すぐ下にある高級フレンチレストラン「ラブレー」のテラス席にお邪魔してしまったのです。僕はベランダから身を乗り出して、どんなルートを通って3階から1階に行ったのだろう、と考えていました。

妻は猛ダッシュで階段を下り、ラブレーのマスターに90度くらい深く頭を下げ、謝罪していました。僕が1階に下りたときには、すでにキリはマスターになつき、マスターからキリは妻の元へ戻っていました。お客さんにしてみれば、高級レストランで食事中に、上から猫が降ってくるなんて、思ってもいなかったでしょう。

僕はお客さんにもお詫びをしました。「いいんですよ。可愛いじゃないですか。」キリはお客さんの料理には全く触れず、テーブルの上でお客さんに甘えていたそうです。そんなキリですが、大人になってほどよい年齢になると、種付けに出されます。

僕はシトロエンの後部座席にキリを乗せて、あざみ野だったかそのあたりにあるお宅へ、オスのアビシニアンを求めて預けました。1週間後、再びシトロエンでキリを向かえに行ったのですが、全身ボロボロで、異臭を放っていました。家に帰ると、妻は手際よくキリを洗い、寝かしつけました。

やがてキリは妊娠し、妻は段ボール箱とシーツで産室を作りました。キリはずっと産室にこもったまま、出てこようとしませんでした。猫の出産についての知識など、どこで仕入れたのか知りませんが、その頃の写真も撮ってあります。皆さんにお見せするような写真じゃありませんが。

それからしばらくして、妻が仕事で出かけているときに、キリは僕の枕元で突然出産を始めました。まあ動物だから、自然に本能でなんとかするのだろう、と思っていたけど、飼い主として放っておく訳にもいきません。僕はとにかくヘソの緒だけは切らなければ、と思って自分の持っているハサミで、この辺が良かろう、と素人ながらチョキチョキと切りました。

いっぺんに4匹も産むんですね。僕は見守りながら妻の帰宅を待ちました。妻は帰宅するとキリに、

「よくやったね!えらいね!キリ!」

と抱きしめ、さっそく仔猫たちに順番に名前を付けていきました。4匹のうち最後の仔猫は未熟児だったので、すぐに亡くなりましたが、残りの3匹は猛烈な元気さで、キリの母乳を吸いまくりました。3匹の仔猫に母乳を吸われるキリの方は、自分が食事をする間もなく、気の毒なくらいみるみる痩せ細っていきました。

授乳期が終わると、キリはまた元の美貌を取り戻し、そのうち仔猫たちもキリに負けないくらい立派なアビシニアンに育ち、我が家はにぎやかな猫屋敷になりました。その後、キリたち一家は引越を繰り返し、獣医さんも驚くほど長生きをしたそうです。

そうです。というのは、僕が直接キリを看とっていないからです。僕とその妻が離婚したあと、時々「最新猫情報」というタイトルのメールが携帯に届くようになりました。キリとのお別れの写真も、ずいぶん長生きをしたあげく、花がいっぱい捧げられた棺の写真でした。哺乳類の一生を垣間見た気がします。

犬も猫も人間より寿命が短いから、どうしてもペットロスをくらうのは、覚悟しなければなりません。哺乳類の末期は、犬型と猫型に区別されると言います。犬は群れで暮らすから、最期は飼い主に抱かれて、という習性があり、猫は死に際を見られたくないから、誰にも見つからない所へ行って、という習性があるそうです。人間との付き合い方も微妙に違いがあるようです。

その意味ではキリは猫なのに、犬のようにべったり人間になつき、犬のように人間に看とられて一生を終えました。アビシニアンというのは、そういう種なのでしょうか。あるいはキリという、僕がたまたま出会ってしまったアビシニアンが、ちょっと変わった猫だったのでしょうか。

いずれにしてもキリが我が家にやってきたその日の写真が、スマホやデジカメではなく、フジカラーの35mmフィルムのカラー写真だったことも言わなければなりませんね。印画紙に焼き付けられた写真は、ずいぶん長持ちするものです。自動露光、自動フォーカスを備えていたフィルムカメラの技術は、世界に栄光のメイド・イン・ジャパンとも言うべき産物です。

僕が最後まで愛用していたフィルムカメラの一台が、RICHO GR1sというコンパクトカメラで、当時も10万円くらいした、名機中の名機です。日本がこんな技術を持っていたのだ、ということは、僕たちの世代や若い世代がもっと誇っていい、と思います。

そのRICHO GR1sそのものは、今でも手に取ると惚れ惚れするくらい精緻に作られています。今回アップしたアビシニアンの写真も、RICHO GR1sで撮影し、なんの加工もしていませんが、背景のボケ具合がすばらしい。それはひとえにレンズをはじめとするメカニカルが、良くできていることを意味しています。

写真だかCGだか区別のつかない、画像を修正することが普通になってしまった今。自分のコンピュータのデスクトップにあと2〜3日は、この無修正で背景がボケた仔猫の写真を、飾っておくつもりです。そしてGR1sは、フィルムカメラを今後も愛用してくれる、真にコアなユーザにお譲りしたく、近々メルカリかヤフオクに登場させるでしょう。

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