(2)休暇
- 80年代のタイ秘境の旅(その1)執筆
- 80年代のタイ秘境の旅(その2)休暇
- 80年代のタイ秘境の旅(その3)取材と好奇心
- 80年代のタイ秘境の旅(その4)乗り物としての象
- 80年代のタイ秘境の旅(その5)アカ族の村
- 80年代のタイ秘境の旅(その6)生阿片
思い出しました。昨日の写真は休暇先のプーケット島での執筆風景です。いくら僕が文章を書くのが好きだからといって、年がら年中書き物をしているわけではありません。あれは僕が20代の頃、大阪で一仕事終えて、もう大阪には僕の仕事はないな、と東京に移る直前の旅でした。
リゾートというよりも、タイ全体を二週間くらいかけて、タイ北部の少数民族の生活を見てみたいという、かなり民俗学の分野に踏み込んだアドベンチャーだったのです。プーケット島での休暇は、いわばその旅のご褒美として、最後の2〜3日ゆっくりしようぜ。というプランでした。
時系列的には、このブログでは前後が逆になりますが、北部の少数民族を訪ねた記録もちゃんと残っているので、これからしっかり書いていきます。それはそれで非常に面白い。というか文明化された今のタイを訪れたとしても、たぶん取材できないんじゃないかな。と言いきれる、貴重な映像の20世紀なのです。
ときどき一緒にブログをやっている、イタリア在住のドキュメンタリスト仲宗根雅則さんと、意見が一致した点があります。
- 僕らには報道はできない
という事実です。新聞を何紙も読みあさり、世の中で起こっていることに対して、なにやら報道めいた分かったような口調で自分の意見を述べてきた私ですが、すべて大手の新聞やテレビなどの報道に対して、二次情報を発信しているだけです。一次情報にあたらなければ、報道とは言えない。池上彰さんだって、今や報道関係者じゃありません。解説者です。
一次情報にあたるには、少なくとも150人から200人くらいの記者団が、分野別に駆けずり回って集めなければなりません。少なくともNHKではそうでした。だから個人ができる仕事ではありません。朝日新聞によると、とか週刊文春によると、という二次情報を、なるべく事実と離れないように、捉え方の問題として論じてきただけです。
その二次情報をもとに、FacebookやSNSで、あーでもないこーでもない、と三次情報や四次情報が飛び交う。それが決して無駄だとは思いませんが、私的には半年間Facebookを止めてみて、そんなやっきになることじゃない。と思えてきました。
このブログのあり方も、世論公論を大所高所から語るのでは無く、自分の思ったこと考えたことを素直に書けば良いんだ。と悟りました。中立公正という枠にとらわれる必要は、まったくありません。今まで職業病のようにこだわってきましたが、それはもう卒業です。もっと面白い話がいっぱいあるじゃないか。
というわけで、64年間生きてきた経験をもとに、いろんな分野で読んで楽しいブログにしていきたいと考えています。もちろんこれからも政治、経済の分野についても、書くことがあるでしょう。でも所詮は個人の意見。へー、そういう考え方をする人もいるんだ。と、受け止めてください。
というわけで、これからしばらくは1980年代の、タイの旅行記が続きます。数少ない私が直接体験した、貴重な一次情報ですので、楽しみにしておいて下さいませ。
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