憲法改正「福祉」から「秩序」へ?

このサイトには「質問コーナー」というページがありまして、読者の皆さまから疑問や質問をメールで送って頂き、杉江義浩が一緒に考える仕組みになっております。

今回はその中から、ハンドルネームこみしゃんこと、五味本友子さんからのお便りをご紹介したいと思います。(本名公開可ということですので、そのまま掲載させていただきました。ありがとうございます、こみしゃん!)

一般の口コミでは、自衛隊追記?等の憲法9条改正に関心が集中していて、基本的人権が危うく感じます!
私は、憲法はこのままで自衛隊は分けて法案を作った方が良いのか?と思うのですが、どのようにお考えですか?

(原文まま)

おっしゃるとおり今の憲法を改正しようと言う議論が、主に自民党の政治家の間で高まっているのは事実です。それによって基本的人権が危うくなるのでは、とお感じになる点も、鋭い着目点だと言えるでしょう。

ただ一点注意しなければならない事があります。自民党が変えようとしているのは、憲法第9条に自衛隊を国防軍として追記しようという点だけではないのです。むしろそれ以外の変更点に、戦前の軍国主義で見られた基本的人権の抑圧がちりばめられていて、非常に危険な改正案だという点です。

これについては、僕の以前の記事に詳しく書いてありますので、まずは是非ともお読み頂くことをお勧めします。

要するに、基本的人権や表現の自由、言論の自由が制限される場合があるということです。これは現行憲法にも改正案にもありますが、どのような場合に制限されるか、がまったく別の文言になっています。

基本的人権や表現の自由を制限する条件を「公共の福祉」から「公の秩序」に書き換えようというのです。これは非常に重要な文言です。福祉秩序では真逆です。

福祉の場合は、例えば耳の不自由な人や足の不自由な人を表現するのに、差別的な表現をしてはいけませんよ、といった意味合いで使われます。一方、秩序というのは「右向け右」と号令をかけられたら、サッと一斉に同じ行動をする決まりのような意味合いです。

もっと身近な例で言うと、今回のコロナ禍でいうところの、ロックダウンが「公共の福祉」(みんなの幸せ)に該当するわけです。そのためには個人の自由の制限ができます。すなわち現行憲法でもロックダウンができたのに、安倍菅政権はしませんでした。

そのくせ高市早苗氏は総裁選の討論で「公共の福祉という言葉はわかりにくいから、秩序に変えるのだ」と主張しました。まさに国民をバカにした詭弁です。公共の福祉と言う概念は難しくもなんともありません。まさに国民みんなの幸せを考えたときの(コロナ禍の自粛のように限定された)状況を言うのです。軍国主義の秩序とは違います。

これで福祉と秩序の違いがわかるかと思います。さらに詳しくご説明致しましょう。

国民に対して、現行憲法も自民党草案も、「生命、自由及び幸福追求の権利」については、基本的に侵してはならないと定めています。ところが、例外規定が全く異なるのです。

現行憲法では、

第十二条 ・・・常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う

第十三条 ・・・生命、自由及び幸福追求の権利については、公共の福祉に反しない限り

と、なっています。「公共の福祉」とは、「他のみなさんの幸せ」と言う意味であり、個人の自由や権利は、他の皆さんの幸せを害さない限り、尊重されると言う趣旨です。それはそうですよね。いくら憲法で権利や自由が保障されているとはいえ、コロナ禍でマスクをせずに電車の中で咳をするような、権利や自由は、認められなくて当然です。

ところがこれで充分なのに、自民党の憲法改正草案では、「公共の福祉」という文言が、全て「公益と公の秩序」に置き換えられています

自民党草案では、

第十二条 ・・・常に公益及び公の秩序に反してはならない

第十三条 ・・・生命、自由及び幸福追求の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り

「公益」とは何なのか。代表的なものは「国益」です。「公の秩序」とは何なのか。簡単にいえば「公権力による秩序」すなわち警察権です。つまり、国益に反するような生命、自由及び幸福追求の権利は認めませんよ。その時は警察官が取り締まりますよ。という意味になります。

国益とは何なのか。例えば国が戦争に巻き込まれたとしましょう。その時は戦争に勝つことが国益となり、国民は全身全霊で戦争に取り組むのが国益を守ることになります。その時に戦争に協力しなかったり、それでなくとも戦争に役立たない表現活動をしたりする自由は、公益に反するとして厳しく制限されます。幸福追求の権利も制限されます。娯楽や芸術に関わっていては逮捕されます。贅沢は敵だ、の世界です。

戦争が始まらなくても、国会前に集まって反戦デモを行おうとすれば、公の秩序を乱したとして、一斉に検挙されるでしょう。第二次世界大戦の前夜と同じ、表現の自由のない、ファシズムの世の中の再来です。

「公益及び公の秩序」は、第二十一条(表現の自由)にも書き加えられています。

第二十一条 集会及び結社言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。

に続いて自民党案では、

第二十一条 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

と、付け加えられています。すなわち国益に反する内容と認められたら、それをネットやテレビで発言することも、本にして出版することも、反戦歌を歌うことも禁止されるのです。何と時代錯誤な条文でしょうか。表現の自由は、国益にそうものしか認められない。

としたらマスコミも大本営発表をそのまま伝えなければならないので、その本来の機能を失うでしょう。ネットの書き込みでも検閲が行われ、反日、と認定されたら削除されてしまうでしょう。

だから僕は自由と基本的人権に関わる部分で、それを制限する文言として「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に置き換える案だけは、認めるわけにはいかないのです。これが自民党草案の最も注目すべきポイントだと思います。

こみしゃんさん、僕の回答は以上となりますが、ご理解いただけたでしょうか?

他にも桝本隆さんや坂井万利代さんが、非常に興味深い記事を書いてくださっているので、ぜひパソコン画面でこのサイトにアクセスして、「サイト内を検索」というところに「憲法」と入れてサーチしてみてください。

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2 comments to “憲法改正「福祉」から「秩序」へ?”
  1. 「公共の福祉に反しない」ということの中味を意味することは、主として公衆衛生上の問題、今回のコロナなどに限定することがひつよう。また、現在の憲法でもロックダウンを可能にする規定であり、ロックダウンは憲法で否定しているという言説は誤りであると思う。

    • 松嶋先生、コメントありがとうございます。「公共の福祉」という概念は、まさしく今回のコロナ禍で言うところの、ロックダウンが該当しますね。事例として思いついていませんでした。さっそく本文に加筆させて頂きました。まだまだ私も未熟ですが、よろしくご指導お願いします。

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