アフターコロナ

新型コロナウイルス感染症対策の自粛で、自宅待機の生活を続けつつも、僕はこの半年間ブログを更新せずに考え続けました。世界は新型コロナの影響で根底から変わりつつある。それは経済的にリーマンショックやオイルショックどころではなく、第二次世界大戦以来最大、いや戦前の世界恐慌レベルのダメージであると報道されました。

この先、世界はどうなってしまうのだろう。という疑問に答えられない自分は、記事を書く資格が無いような気がして、執筆を控えてきました。今日は先日亡くなった台湾の李登輝氏の話、香港で逮捕された周庭(アグネス・チョウ)さんの話を踏まえて、中国共産党と民主主義国際社会の対立を書くつもりでした。

しかしそれは後日ゆっくり書くことにして、やはりここは自分なりに新型コロナ問題を一度総括しておく必要があると思いました。今は2020年8月ですが、コロナ禍は今年に入ってすぐに拡大し(厳密には2019年12月発生)、中国からイタリア、スペイン、そしてアメリカ、南米と中心地を変えながら、全世界を襲っています。

感染拡大防止のために各国の都市は封鎖され、人の移動は非常に厳しく制限され、物流も滞りました。新型コロナによる都市封鎖、外出の自粛要請、飲食店等人の集まる場所の閉鎖など、その影響はさんざん報道されているので、ここではあえて詳細は書きません。

ただ今僕が言えることは、結果として世界経済が40パーセントあまり落ち込み、人類が歴史的な危機に瀕しているということです。今生きている人類が、誰も体験したことのない苦境です。アメリカ合衆国大統領だろうと、国連WHOだろうと、もしかしたらいるかも知れない革命的リーダーだろうと、誰一人としてなすすべがない状況です。

この悪夢は現実です。そしてそれは、僕に「経済とは何なのか」を考えさせられるきっかけになりました。結論から言うと「世界は不要不急でできている」ということです。少なくとも20世紀以降の文明国では、「不要不急」こそが経済の根幹そのものであることに気がついてしまったのです。

日本ではステイホームのかけ声とともに、全ての旅行は中止となり、劇場、コンサート、スポーツイベント、ライブハウス、カラオケなど人の集まる場所は閉鎖されました。JALやANAは9割の客を失って史上最大の赤字を出し、ライブ活動で生活するアーティストなどは職を失いました。これらの被害は娯楽、飲食など特定の業界に限られているかのように、一見すると思えるかも知れません。

その他の業種はリモートワークなどでこなし、人々は自宅に留まって、不要不急の外出を避け、自炊し娯楽を我慢していればなんとか生きていける。そしてそれを今ではウィズコロナ、あるいは新しい生活スタイル、と呼んで定着させようとしています。

僕はこの「新しい生活様式」を定着させようという声に反対です。人々は旅行などしなくても生きていけることに気がついてしまった。芝居など見なくても、コンサートに行かなくても、カラオケなどしなくても生きていける。それらはみな「不要不急」だから、という考え方が世の中にはびこることが、非常に恐ろしいことだと感じています。

本当に旅行などしなくても人間は生きていけるのでしょうか。本当にライブを観なくても、スポーツ観戦をしなくても、仲間と会食を楽しまなくても、生活は成り立つのでしょうか。それでも死なない、という意味では正解だし、人々は実際にそういう自粛生活を体験して、そして慣れてしまった。この慣れはしばらく尾を引くでしょう。

アフターコロナの時代に世界経済はV字回復するでしょうか。僕はしないと思います。そもそも簡単にコロナ禍は収まらないでしょう。ワクチンが開発されて、多くの人が集団免疫を持つには数年はかかると思います。その間に人々が身につけた「新しい生活様式」なる悪癖が、コロナ禍の後も経済復興を妨げ続けるのではないか。それを危惧しています。

気がつけば僕たちは無数の「不要不急」に取り囲まれて生活をしていました。それが文化的な生活というものです。コロナ後に世界経済がV字回復するには、「不要不急」を自粛期間の反動を使ってでも大いに活性化する必要があります。旅行、会食、芸術鑑賞、スポーツ観戦、その他の娯楽にお金を使う習慣が、再び人々の生活に戻ってこなければなりません。

しかし悪い意味での節約癖がついた人々は、資本主義に欠かせない贅沢志向、欲望の追求から離脱します。ごく一部の富裕層と多くの貧困層、という二極化が進み、貧困層はかつて中流階級として享受していたささやかな娯楽をも手放します。そうなるとV字回復ならぬK字回復となり、「不要不急」な産業は需要を失って衰退していくことになります。

決して楽観視できないアフターコロナの時代ですが、どんな状況にあっても人々は集い、語らい、そして楽しみを求めます。アーティストがいる限り芸術は滅びないし、アスリートたちがいる限りスポーツは廃れないはずです。これら「不要不急」分野の担い手を支援することが、人類が後退せずに前進するために欠かせないと思います。

そして経済の二極化を防ぐことも、日本では重要です。かつて経済大国だった日本は、当時は成功した社会主義と揶揄されるほど、貧富の差が小さかったのです。平社員の月給が30万円の時に、社長の月給は100万円。社長はもっと取ってもいいのではないか、と言われるくらいでした。今のように社長が何億と稼ぐ、アメリカ式の新自由主義ではありませんでした。そのおかげで一億総中流という言葉が生まれたくらいです。

コロナ後の経済を立て直すには、この一億総中流の実現が、アーティストやアスリートの支援とともに、重要なポイントとなると僕は考えています。簡単に言うと、ごく普通のサラリーマンが、ごく普通にライブ鑑賞やスポーツ観戦を楽しめ、ごく普通に観光旅行をできる時代。そんな時代を目指して、この国の舵取りをしてもらいたいものだと思います。

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