Nスペ首都直下地震「パラレル東京」を考える

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これは2019年12月にNHKで放送された衝撃のドラマです。30年以内に70パーセント以上の確率で発生すると想定されている首都直下地震を、実際のデータを元にリアルに表現したものです。「怖すぎる」「実際の被災者のトラウマを刺激する」などと物議をかもし出す演出でしたが、僕は非常に良くできていたと思います。まだ見ていない人はまずは是非ご覧下さい。

NHK「パラレル東京」サイト

舞台は架空の東京にある架空のテレビ局で、震災に関するあらゆる情報が次々に入ってきます。それを高橋克典が演じる報道番組の編集長が、小芝風花演ずるキャスターとともに悩みながら中継していきます。

NHKの趣旨としては、首都直下地震の様々な想定被害について体感してもらい、災害に備える心構えを視聴者と共有したい、というところでしょう。しかし僕はちょっと別の角度からこのドラマを見ていたために、震災そのものではなくて、大災害時におけるマスコミのあり方について考えさせられました。

ネットのSNSで拡散するデマを含め、流れ込んでくる膨大な量の情報。その取捨選択。注意喚起の呼びかけ。正確で信頼できる情報に基づいた避難誘導。テレビ局の役割は平時とは全く異なる重要な社会インフラとなります。そのあたりも今回のドラマでは丁寧に描かれていました。大震災時におけるテレビの災害報道とはいかにあるべきか、問いかけるドラマにもなっています。

阪神淡路大震災の時に最前線で災害報道の現場にいた僕は、当時の自分の経験と重なり合うように、このドラマを見て深く共感するものがありました。

一次情報が命のマスコミとして、ドラマでは火災現場で中継の準備をしていた記者が、二次被害で命を落とします。阪神大震災の翌日に現地入りをした僕は、たしかに自分の身の安全を考えることもなく、盲目的に少しでも被災地の奥深く入ろうと、がれきの山を踏み分けて進んでいました。今考えると、余震があったらお陀仏になるところでした。

ドラマではネットからの情報で、荒川の堤防が決壊寸前だということを知ったスタッフが、2000人の命を守るために避難誘導をしようと提案します。しかしテレビ局の上層部は、ネットからの情報だけで裏が取れていない、自治体からも避難勧告が出ていないし、消防や警察からも情報が来ない、と言って堤防の決壊を警告する報道を許しません。あろうことか首相の被災地視察を中継しろ、とトップダウンで命令し、現場は何の緊急性もない首相の記者会見を、延々と放送するはめになります。まさにテレビ局あるあるで、このドラマの作者は痛烈に皮肉を込めて、そんな脚本を書いたのがわかります。

僕が一番気になった展開は、倒壊したビルに閉じ込められた一人の若い女性と電話がつながり、キャスターがその女性を中継の中で勇気づけながら、ハイパーレスキュー隊が大勢投入されて奇跡的に助かる、という話でした。

ドラマの中でも「5万人が閉じ込められているのに、なぜその女性だけを特別扱いするのか」という批判が殺到している、と軽く触れられていました。また何故その女性なのか、といえば局の上層部の知り合いの娘で、スポンサーがらみだからだ、とも軽く説明がありました。それにもかかわらず、ドラマの演出では女性の救出の瞬間をクライマックスにして、スタジオ中が拍手喝采というシーンとなりました。

この演出については、僕は今でも釈然としないものがあります。たまたまテレビ局に縁故のあった個人にスポットライトが当てられ、他の5万人が埋没してしまうのはいかがなものか。しかし1人とはいえ助けられたのだから、喝采が上がるのは無理もない。非常に複雑な気分になります。テレビというものは何かにスポットを当て、他を切り捨てる因果なメディアだと痛感します。

僕自身、これに似た経験を、阪神大震災の時にしました。被災地の奥深く分け入った僕は、倒壊した家屋の下で震える一人の少女に出会いました。僕は彼女を取材し、そのインタビューはNHKの電波に乗って全国に流れたのです。彼女の一家は飲み水にも困っていました。僕は見かねて翌日、大阪のコンビニで水を買って彼女の元に届けました。大変喜ばれましたが、僕は今でもその行動が正しかったのか、自信が持てずにいます。

マスコミはレスキュー隊ではない。取材し報道することに徹するべきであり、個人的に特定の誰かを助ける行為は筋違いではないのか。大勢の被災者が水を求めている時に、マスコミによって切り取られた特定の人のみに水を届けるのは、差別的ではないのか。そんな自問自答が今でも続いています。

このような現象は、避難所単位でも起こりました。僕は避難所となったばかりの某小学校にたどり着き、そこの現状を学校名とともに報道しました。校長先生が良い人で、修羅場をこなしながらも快く取材を受け入れてくれたからです。それは良かったのですが、その後は思わぬ展開になりました。

僕たちの番組ではその小学校を、1か月後、3か月後と定点観測して復旧復興の状況をレポートすることになりました。すると他局もその小学校を足場に取材活動をするようになり、行政の視察対象としても、その小学校が選ばれました。

数ヶ月後、その小学校の校長先生から僕に連絡がありました。

「全国からの救援物資がうちの学校だけに届き、山積みになって困っている。隣の小学校には食料もないし、その隣の小学校には水さえ届いていない。なんとかしてほしい」

というものでした。全国の視聴者が、避難所といえばその小学校しかないかのように、思い込んでしまっていたのです。

テレビで何かを伝えるということは、何かを切り取って伝えるということです。決して全体像を伝えられるわけではありません。報道というカメラで切り取られたフレームの外にある、数多くの真実の存在に、僕たちは想像力を振り絞って気付いていかなければならないのです。

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