違憲立法審査はいかにあるべきか

saikousai

昨年成立した「安保法制」を境に、憲法には最高裁判所の権能として書かれている「違憲立法審査権」が機能していないことが改めて議論されている。
目下、最高裁判所の憲法判断は、何らかの具体的な行為による訴訟(「安保法制の成立によって、平和な生存権が侵されて精神的苦痛を受けた」とか)の付属的な問題として扱われ、憲法違反だから無効だと申し立てることはできない。
国が締結した条約、たとえば日米安保条約そのものは「外交政策など高度な統治行為には司法判断はしない」と門前払いに近い扱いを受ける。条約に対応する国内法についても同様である。
それゆえ最高裁の「違憲立法審査権」は、絵に描いた餅じゃないか、と言われて久しい。
そこで、憲法を改正するなら、違憲立法審査権を強化する方策が議論されている。
ひとつ、有力な案は、諸外国にも既にある「憲法裁判所」という憲法違反かどうかを専門に扱う司法組織を新設するというものだ。
日本では「読売新聞憲法改正試案」にその記載がある。
もう一つは、有力ではないが、私の「改正私案」も採用する、違憲立法審査の手続き(何を誰かいつ訴え、最高裁判所はどのように判決に至るのか、その効果はどうか)を定めようとするものである。

憲法裁判所のメリットは、強力でシンプルなことである。
国会で議決成立したすべての法律や内閣の政令などをすべて憲法裁判所のチェックを受けるようにすれば、理論上「憲法違反」は起きなくなる。
問題は、まず、三権分立のバランスが崩れることだ。憲法裁判所の権能は、国会で成立した法律の「拒否権」とも解釈できる。国会も内閣も自治体も、決してここを無視できないから、絶対権力である。
したがって裁判官の任命権をどうするのかによって、事情は大きく異なることになる。議院内閣制をとる日本では、国会と内閣は一体だから、そのいずれにも形式的な任命権(最高裁判所の推薦を拒否できず機械的に任命する)以外のものと与えるのはきわめて危険である。最高裁判所の推薦に拠ることとしても、最高裁判事の任命権を内閣が握っているので、政権与党の思惑が入り込む余地は残る。
最高裁判所と憲法裁判所の上下関係もかなり難しい。別々の「長官」を定め「衆・参両院議長」のように並立してのがよいかもしれないが、予算などの優先権がある衆議院議長程度の「格上」感が憲法裁判所長官に生まれるだろう。最高裁といえども憲法問題は憲法裁判所に伺いを立てることになるからだ。
新しい組織、しかも憲法に基盤を持つものを作るとなると、事務方をはじめ、最高裁以下現行の裁判所との関係など組織整備法制が必要となる。憲法裁判所の「訴えの手続き」とか「審理の方法」の在り方も決めなければならないだろう。現行76条第2項の「特別裁判所の設置禁止」との整合性も検討することになる。
とにかく手間とコストがかかる。

一方「私案」のように違憲立法審査の手続き(誰がどうやって何を訴えるのか)を定める場合には、最高裁判所による「統治行為論」を乗り越えることができるのか、また自身が行った「判例」に縛られてしまうのではないかという懸念がある。
訴えるのが誰かという問題もある。読売新聞私案と私の「私案」では衆参両院議員の3分の1以上の賛成で、国会議員が起こせるとしている(読売は憲法裁判所への提訴だが)。両者とも、多数派である与党が起こすことは考えられないという前提に立っている。
国会での審議を通じて問題点をよく知る国会が行うとするのは一定の合理性がある。
一般国民に拡大すると、「個人で」では乱用の恐れが大きい、地方自治法にある直接請求権を拡大するやり方は、署名の有効を審査する事務(地方自治体の選挙管理委員会が実務を行う)は、全国にわたるので非常に煩雑で予算がかかる。
したがって、訴えの提起は国会にゆだねるのが妥当と言える。しかし政治的駆け引きを排除することは難しい。しかも最高裁判所の任命権、指名権は内閣にあるので、最高裁判所の独立性についても政治的要素が排除できない危険をはらんでいる。違憲立法審査の手続きが憲法に定められているからと言っても、現実には、国会の多数を占める与党と内閣の政治的影響を受けてしまう。
一方メリットは、組織を含め現状を変えないので、コストがほとんどかからない。最高裁判所の現行判事数を増やすかどうかを検討する程度で済むだろう。「仙人判事」は結局憲法裁判所と同じ権能を最高裁判所の中に作ることとなるので、避けた方がよい。

憲法裁判所の設置か、違憲立法訴訟手続きかは、両者とも固有の問題を抱えてはいるが、現状を大きく変更しないという点では、後者を推すものである。

2 comments to “違憲立法審査はいかにあるべきか”
  1. 一国民の私から見ると、違憲立法審査権の機能強化の必要性が、いま一つよく分かりません。これが強化されると、国民の生活はどう変わるんだろうという疑問があります。お役所の機能強化は、かならずデメリットを伴うので。もう一つ述べておきたいことは、一度も憲法改定がなされなかった事実は、憲法改定のハードルが高すぎて、実際的な改定権利が国民に付与されてないんじゃないかという疑問です。もしそうであれば、違憲審査は憲法改定のハードルを下げることとセットで議論されるべきではないかと思います。

    • 大半の憲法学者が「違憲」だという集団的自衛権を含む「安保法制」が堂々と施行されてしまう。しかし「憲法違反だから無効だ」という訴訟は起こせません。
      憲法違反の安保法によって平和に生存する憲法上の権利を侵され精神的苦痛を受けた、という実に迂遠な民事訴訟を起こすしかありません。
      さらに最高裁判所(上告審)に至っても、外交や防衛などの高度な政治的統治行為は司法になじまない、と門前払いされます。
      これでは憲法に記された「違憲立法審査権」は、行使できる実効的手段がなく、政府与党は事実上拡大解釈の連続によって、前文を含めた憲法の基本的性格はなし崩しにされるでしょう。
      これは現行憲法の明らかな欠陥であり、ここは権力を縛るという観点から改正が必要と考えます。

      なお憲法の改正については、選挙制度が異なる参議院の発議要件を過半数にすべきと考えるところです。

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