ヘイトスピーチ対策法と「表現の自由」
この5月24日、衆議院で自民・民進の賛成多数により成立した、いわゆるヘイトスピーチ対策法(規制法ではない)は、日本もわずかであるが進歩したと思っています。この正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」という長い名前の法律は、禁止事項や罰則規定がないため実効性に疑問が残るものの、在日韓国人らに対する「殺せ」など差別的どころか脅迫的な文言をプラカードに掲げた一部の右翼による恥ずかしいデモ行為を、少しでもやめさせようと言う規範法であります。
僕はこういった悪質なデモ行為を減らすには、法律よりも、むしろモラルやマナーといった意識改革のほうが重要だと考えていました。でも実際に街頭で行われているヘイトスピーチを目にすると、そんな生やさしいものではないことが分りました。この国で長く日本人と同様に暮らしてきた罪のないマイノリティの方々が、大勢のヘルメットを被った物々しいデモ隊から「殺せ!」とシュプレヒコールを浴びせられたら、どんなに恐怖と悲しみにつつまれるかと想像したら、すぐにでもやめさせたくなります。
ヘイト、つまり憎むことは思想信条の自由だし、それをモラルを持って表現することも自由でしょう。憲法に定められた「表現の自由」。これを一部の人は、絶対的に何をどう表現してもいい、無制限の権利だと考えているようです。でも「表現の自由」は絶対的ではありません。規制もあってしかるべきです。例えば性器を露出したような過激なわいせつ物は、表現の自由の範囲を超えています。一部のアーティストの中には、それさえも表現の自由だと主張する人もいますが、僕は少なくとも青少年の目に触れるところで過激なわいせつ表現はすべきではないと考えます。
国籍や人種、出生や性別によるマイノリティに対する差別は、文明国に絶対にあってはならないものです。こうした差別を堂々と行うことは、わいせつ物を晒して歩くのと同様、許されないことです。ですから僕は個人的には今回の法律に、禁止事項や罰則規定を盛り込んでも良かったと思っています。わいせつ物が取り締まれるなら、ヘイトスピーチも同様に取り締まるべきです。ヘイト、つまり憎むことは思想信条の自由ですから、成人が個人的にひっそりと思い巡らすことは、アダルトビデオをみる自由と同様に許されるでしょう。でも世間に向けて公開してはいけません。
ちなみに海外ではどうでしょうか。
文明国ではほとんどの国に法的規制が厳しく定められています。表現の自由の代表国フランスでも、人種差別禁止法で差別表現は禁じられています。ドイツでは、かつてユダヤ人を差別したことの反省から、刑法まであり、差別的な言動は犯罪として取り締まれるようになっています。こうしてみると、日本はいかに今までヘイトスピーチに、無策であったかがわかります。文明国の仲間入りができていないのです。
日本人は単一民族国家だからだ、と勘違いしたことをいう人もいますが、日本人にはアイヌ民族もいれば琉球人もいます。古くをさかのぼれば、ネイティブ・ジャパニーズ(縄文人・原住民)と、大陸や半島から文化を持って渡ってきた新興民族(弥生人)との混血で、日本人のほとんどは成り立っています。日本人の純血種なんていないのです。ミクスド(ハーフ)の人もどんどん生れて活躍しています。これから国際化が進めば、いずれは多民族化していくことも考えられます。
皮肉なことに今まで、法律で取り締まらなければならないほどのヘイトスピーチをする愚か者が現れなかったのは、日本人のモラルとマナーが優秀だったからだとも言えます。だから恥ずかしいヘイトスピーチをしている輩を見ると、僕は心のなかで叫びます。「お前なんか日本人じゃない!」と。
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憲法を改正するなら、表現・結社の自由の制限として入れてほしいです。
「あらゆる差別をあおる表現、およびそれを政治目的とする結社はしてはならない」と。
極端な場合は罰則を科してもよいと思います。なにが「極端な場合」に当たるかは法律に具体的な定めを置かず判例の蓄積によればよいでしょう。