自衛隊~憲法解釈という砂上の楼閣
陸海空自衛隊20万人の軍事的能力は世界の中でも上位だそうである。
しかし、憲法第九条によって「陸海空の戦力はこれを保持しない」となっているので、国内的には日本国政府は「防衛力」をもっていて戦力は持っていない、「防衛装備」をもっているのであって武器・兵器は持っていないと言い換える。
このような不自然は「言い換え」の源泉は、自衛隊が憲法第九条とどんな関係にあるのかという「どろどろした」経過にある。
日本国憲法第九条は2つの項からなるシンプルな条文である。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
一つの条文だが、章として独立していて「第二章 戦争の放棄」と題されているから、戦争に対する強い禁忌があるとみるべきだろう。
この第二章・第九条は、「前文」にある「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」を受けて設けられたと考えるのが文章の解釈としてはごく自然であろうと思われる。
少なくとも高校生~大学入試の国語レベルでは、正しいとされる。
つまり、自衛隊の存在は憲法第九条とは相容れない矛盾であるとする「自衛隊違憲論」は強い説得力を持つ。
政府も自衛隊創設以前1946(昭和21)年の吉田首相などは次のような見解を表明している。
「戦争放棄二関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第9条第2項二於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トソテノ戦争モ、又交戦権モ放棄シタモノデアリマス。
従来近年ノ戦争ハ多ク自衛権ノ名二於テ戦ハレタノデアリマス。
…故ニ我ガ国於テハ如何ナル名儀ヲ以テシテモ交戦権ハ先ヅ第一自ラ進ンデ放棄スル。
…世界ノ平和確立ニ貢献スル決意ヲ先ヅ比ノ憲法二於テ表明シタイト思フノデアリマス。
(引用元;http://tamutamu2011.kuronowish.com/kyuujyouhanketuitirann.htm )
ところが、自衛隊が発足し、防衛庁が設置される過程で政府は憲法の解釈を変更するに至る。
1979(昭和54)年(大村防衛庁長官)
政府の見解をあらためて申し述べます。
第1に、憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。……
第2.憲法は戦争を放棄したか、自衛のための抗争は放棄していない。
1.戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。
2.他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。従って自国に対して武力攻撃が加えられた場台に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
(引用元は上記と同じ)
ここで、法文解釈のマジックとも言うべき方法がとられている。
条文を、句読点で区切られるセンテンスで個別に解釈するのである。すなわち第1項を「国権の発動たる戦争と」「武力による威嚇又は武力の行使は」「国際紛争を解決する手段としては」に分解する。
第2項も「前項の目的を達するため」「陸海空軍の戦力はこれを保持しない」「国の交戦権はこれを認めない」と分解する。
次ぎに、分解されたそれぞれのセンテンスを個別に解釈する。すると、条文全体で意味していることを離れて自由度が増す。
第一項は次のようになる。
「国権の発動たる戦争」=宣戦布告を行った国際法上の国家同士の戦争と解釈する。
「武力による威嚇又は武力の行使」=宣戦布告なき武力衝突又は戦闘行為。
「国際紛争を解決する手段」=外交や国際政治上のお互いに相容れない主張を解消できない場合の手段。つまり武力で相手国を攻撃又は威嚇することで当該紛争を解決する、ほぼ侵略戦争と同じ意味。
続いて第二項、
「前項の目的を達するため」=宣戦布告を伴う国家間の戦争や、外交・政治問題を解決する手段としての戦争をしないという目的。この文章が次のセンテンスに係るとする。元総理大臣であった芦田均が退任後かなり後に言いだした解釈と同じであるので「芦田修正」と呼ばれることもある。
「陸海空軍の戦力はこれを保持しない」=上記目的、国家間の戦争や交渉で解決できない問題に対する手段としての戦力は保持しない。
「国の交戦権はこれを認めない」=交戦権は国際法上明確でないとする記述がWikiにある。その記述に拠れば「交戦状態にある国=戦時国際法が適用される状態にある場合の権利」というのが国際法上の意味合いであって、「国が戦争をする権利」という憲法前文や九条全体から受ける意味合い定義はないという。
<参考;http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg98x083.htm>
以上ようなセンテンスごとの解釈をつなげると、政治外交などの手段で解決できない他国とのお互い相容れない紛争をその国に武力を行使したり威嚇したりするための戦力保持やその延長にある戦争はしない、となる。
この解釈の中に、他国から理不尽に日本が武力攻撃を受けたとき、つまり喧嘩を売られたとき、応戦する正当防衛の権利=自衛権は禁止されておらず、「その目的(国際紛争を解決するという目的ではない)」のために、陸海空の戦力を持つこと、つまり自衛隊とその運用としての自国防衛戦闘(自衛権)は禁止されてはない。
世界屈指の装備と戦闘能力を持つ自衛隊が堂々と、「戦争放棄」という憲法の下で存在できる理由づけはこのように為される。
現在の政府見解(防衛省のサイトより;http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html )
わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。
(1)保持できる自衛力
わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます。
しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。
しかし、中高校生レベルで理解される日本語が「専門家」によって正解とされないというのは、自衛隊の存在が「戦争放棄」をうたう日本国憲法に合致すると国民的に合意されるものではなく、時の政権・政治による恣意(解釈)が働いてしまうと考えられる。
政権が変われば、自衛隊が「憲法違反」とされることもあり、陸海空20万人の自衛官の地位や雇用、装備の存廃も含め、不安定な存在であることになる。<br>
それゆえ憲法改正「私案」では、次のように改正することを提案している。
第二章「戦争の放棄」は章名を「戦争の放棄と自衛権」に変更
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の規定にかかわらず、自国防衛のための自衛権に基づく軍事力はこれを保持する。
3 日本国と第3国との間の双務軍事同盟および集団的自衛権はこれを認めない。
4 国の徴兵権はこれを認めない。
第九条の二 前条第2項の自衛権は陸上、海上、航空自衛軍により行使される。
第九条の三 自衛権の行使は日本の領土、領海、領空および国際条約上で認められた排他的水域で他国による攻撃があった場合に認められる。
2 自衛権による武力行使は、自衛のための最小限とし、他国の領土領海領空では行わない。
第九条の四 前条のほか、国際連合と当事国政府の合意のもとで、他国と共同で平和維持活動に自衛軍を派遣することができる。
2 派遣中の自衛軍に対する攻撃があった場合の武力行使は、第九条の三にかかわらず、自衛権の行使とする。
第九条の五 平和維持活動中は、捕虜の扱いに関する国際条約における軍の規定を適用する。
2 平和維持活動中の自衛権の行使による他国民の殺傷について派遣自衛軍において軍事裁判を行うことができる。
3 軍事裁判の刑罰及び手続きは法律で定める。ただし刑罰に死刑を設けることができない。
4 軍事裁判の判決に不服のあるものは帰国後通常の裁判を起こすことを妨げない。
私案の全体は、Facebookの私のタイムライン2015年9月までスクロールするか、MIXIコミュニティ「日本国憲法改正私案」 http://mixi.jp/view_community.pl?id=6255739&from=home_joined_community をご覧いただきたい。
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なるほど。集団的自衛権を認めない方向で、しっかりとした縛りをかけた良い私案ですね。流石です。ちなみに僕は最近になって集団的自衛権を認めても良い方向へ、少し心が動いています。
私案の全体を読みたいけど、mixi嫌い、スクロールも面倒だという方々に下記にも公開。
http://mimasuyateisyu.asablo.jp/blog/2016/02/25/8028933
桝本さんの記事を読んで、9条の解釈はなんて難しいのだろう、と
改めて実感しました。(憲法は一番解釈が難しいと聞いています。)
自衛隊の違憲訴訟は、最高裁で一貫して回避されています。
>2 前項の規定にかかわらず、自国防衛のための自衛権に基づく軍事力
はこれを保持する。
大日本帝国も1928年に不戦条約を批准し「侵略戦争はしない。自衛のため」
と1931年に満州事変に突入しました。
それに対し、批判的なメッセージを送ったのが、国際法の学者、横田喜三郎さん
や石橋湛山さんです。
全ての戦争は「自衛のため」の解釈があります。しかし、ここで書いているのは
あくまでも「国」と「国」の間のことです。
ISが昨年の11月にパリでテロを起こした際に、私は彼らが故郷でひどい
差別を受けていたこと知り、最初はフランス至上主義に残念な思いでした。
しかし、その後、国際政治学の学者から「ISの狙いは、EUが壊滅する
核兵器が定説」と聞き、EUで集団的自衛権の行使が認められた、と
知りました。
日本は不戦の理念を徹底的に守らなくてはいけない、しかし、その一方で
戦争の定義が変わり、まだ結論が出ないこともあります。
地続きのヨーロッパと島国の日本では、(集団的)自衛権の感覚がまったく違うのです。住宅密集地と1000坪の敷地の中の一軒家の火事とがちがうみたいな感じです。
>第二十四条 婚姻に関する条文だが削除
これは同姓婚を法的に認める、ということでしょうか。
もうそうだとしたら、私はこれは是非現行憲法をよくするもの
として、削除してほしいです。
>外国人差別を防ぐ必要から第2項を追加する。
>2.基本的人権の保障は、日本国民でないゆえをもって制限的に
解してはならない。
素晴らしい内容だと思います。
ヘイトスピーチなんて、ろくなものではありません。
昨年11月のパリのテロで人種差別が問題になりました。
私が知る限り、バカロレアを取った多くのフランス人でも
「日本に観光に来て、親日でも日本と中国と日本の区別が
全くつきません。東アジアでひとくくりです。」
ほぼ同様のことが、漫画家のヤマザキマリさんの漫画
「モーレツ!イタリア家族」ヤマザキマリ、講談社、P57
にも書いてあります。イタリア人が日本に旅行に来て、
浅草の浅草寺を見て「この中国の素晴らしい情景」と。
その意味でも、安倍首相は憲法改正して、わざわざ
対中関係を悪くしてる場合ではないのです。
第二十四条の削除は、まさに同性婚公認への決定的なステップです。これは世界的な時流に合致します。
国民の権利義務関係の「差別の禁止」も同じ考えに基づきます。
世界でダメなものは日本でもダメなのです。
>同性婚公認への決定的なステップです。
第24条が全文削除だったので、もしかするとと思いました。
同姓婚、事実婚などぜひ法的に認めてほしいです。
婚姻などと言う個人的なことをわざわざ憲法に書かなければならなかったのは、戦前の「家族制度」にタイする強烈なカウンターを食らわす必要があったからでしょう。
自民党草案では「家族制度」への憧憬が強すぎて陳腐です。
結婚などは「民法」で定めれば十分です。
同じく、第15条の「公務員の選定=選挙」に関する第三項も「成年者による」を削除しています。すでに「成人」ではない18歳に選挙権が与えられているわけですから必要が無いのです。
>自民党草案では「家族制度」への憧憬が強すぎて陳腐です。
「草案の第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位をとして
(中略)家族は、互いに助け合わなければいけない」
文科省の少子化政策だと聞いていますが、憲法に道徳を
持ち込まないでほしいです。余計なおせっかいです。
>陸海空自衛隊20万人の軍事的能力は世界の中でも上位だそうである。
ISのテロの脅威を考えた場合、「陸上自衛隊の現有勢力を派遣可能
な部隊規模は一個大隊600人程度であると思われるが(中略)対テロ戦争
の局面を打開できるほどの力はないということだ」
(「安保法制の何が問題か」長谷部恭男、杉田敦編、岩波書店 P161~162
柳澤協二により)
また、Foreign Affiars Report, 2016No.1 p71~72(要約)で、
「封じ込めではなく。ISの妥当と玉砕を」 A conversation
元米国務長官ヒラリー・クリントン「先ず空爆の効率を挙げて、
地上戦とうまく連動する必要がある。
10万人の米軍部隊を中東に派遣すべきではない。アフガニス
タン等15年に及んだ戦争の教訓とは、現地の社会を守るのは
現地の人々と国でなければならない。それでも、現地および
地域的軍隊を支援することが不可欠」のスピーチ内容があります。
アメリカの軍隊だけで、10万というのは、とんでもない数字だと思い
ました。
桝本さんが書かれている内容は、大変まっとうなものだと思います。
立憲主義に基づいた私案も、下手なご冗談の草案とは大違いで、
大変納得させられるものと、思いました。
前に、桝本さんがコメント欄で書かれていたことです。
>いずれ(戦争とテロ)も敵対勢力同士の殺人と破壊で反社会的行為、
>つまり「犯罪」です。
まさにその通りだと、合点がいきました。
「安保法制の何が問題か」長谷部恭男、杉田敦編、岩波書店、P158の要約
元内閣官房副長官補の柳澤協二さんの「自衛隊員のリスク」から
安倍内閣は集団的自衛権という新しい法律を作り、自衛隊の海外任務
が大幅に拡大する。(中略)最も重要な訓練は、躊躇なく引き金を引く
訓練だ。敵を見たら撃つ、そうしなければ、一瞬の躊躇が命取りになる。
だが、民間人に紛れた見えない敵を選別することは不可能だ。
ーーーーーーーーーーー
桝本さんがこの記事が、約10万人の米軍部隊の中東の派遣が、
とんでもない数字だと私が調べる機会を造り、教えてくださったのです。
重複になりますが、杉江さんから最初にいただいたメールに
「国民が憲法を語れるレベルまで啓蒙すべき」と書いてあり
ました。私も啓蒙という言葉が好きです。
暗きに光を放つ、これはメンバーで協力し合わないと、国民が
憲法を語れるレベルまでは至らない、と考えています。
(学者ばかり情報を持っていても、伝える力はありません。注)
(今はいい記事が沢山あるので、地上戦になることについても
また改めて投稿いたします。)
注)「多数決」に関する本ですが、ご本人は「コンビニで立ち読みできる
簡単な内容」だと心底思っています。
「デフレーション」吉川洋、日本経済出版社、もそうですが、専門書
の自覚はなく、一般向けに書かれた本です。
(私から見ると専門書にしか思えません。)
桝本さん、よかったら教えていただきたいことがあります。
まず自民党の憲法草案は、民法と刑法などに矛盾が
出ると聞いています。
しかし、私はそれについてよく分かりません。
多分、多くの方も分からないと思います。
憲法→民法、刑法等→条例→政令→省令
で、合っていますか?
あの草案を見て、素人は、真っ青になり、度肝を抜かれます。
法律を使うプロの方は、下手な冗談か悪ふざけだと苦笑します。
しかし安倍首相は本気です。「現行憲法を日本の無力化のための』
GHQ案が出した8日間の徹夜の翻訳』と漫画政策パンフレット
に書いてあります。しかも、「忠実を踏まえ」て書いてあります。
本気でそう思っていたら、手に追えないのですが…。
一体、どの資料をもとに「忠実を踏まえ」なのでしょうか?
ネトウヨのブログとかでしょうか?
最初、私は一条ごとに国民投票と知りませんでした。
もしよかったら、なぜ下手なご冗談になるのか(例えば最高裁
の判例に反するとか)、お時間のある時に、投稿していただけない
でしょうか。
杉江さんのお言葉をお借りします。
「国民が憲法を語れるレベルまで啓蒙すべき」。
法体系の頂点(根幹)にある憲法が変われば、民法の定める権利義務や不動産取引に関する法律などに、たとえば「ただし憲法第9章に定める緊急事態が効力を有する間はこの限りではない」とかなんとかいっぱい入ると思います。
借地借家法や刑事訴訟法・・・変更の山でしょう。
九条二項の削除だけでも、自衛隊法や昨年成立した安保法制も書き換えを迫られます。
なお「日本国憲法の改正手続き関する法律」によると、「改正案ごとに賛否」とありますので、一条ごとではなくまとめて、たとえば自民党案のうち現行条文を改正・追加・削除舌のをまとめて「改正案」とすることもできます。底は国会がどのような発議をするかにかかっていて任意です。
憲法改正は政治的に大きなリスクなので、こまめに何度もというのはできず、ある程度まとめてとなると考えられます。
桝本さん、ご教示いただき本当にありがとうございます。
>借地借家法や刑事訴訟法・・・変更の山でしょう。
これは、法律のプロしか分からないことです。
こういう事は、意外と憲法に関する本に書いていません。
もしよかったら、コメント欄でなく、記事として投稿していただけない
でしょうか。もっと知りたいです。
>一条ごとではなくまとめて、たとえば自民党案のうち現行条文を
>改正・追加・削除舌のをまとめて「改正案」とすることもできます。
>底は国会がどのような発議をするかにかかっていて任意です。
なるほど。大変、時間がかかりそうです。
>憲法改正は政治的に大きなリスクなので
私が知る限りでは、安倍首相はナイーブで、支持率が下がると
大変落ち込みます。
「第9条2項削除」を憲法改正で持ち込みない可能性も出てきました。
自民党の生き残りのほうが大切という意見もあります。
(あの草案を大大的に出したら支持率は一気に下がることが
自民党内で懸念されています)。
ただ、緊急事態は恐らく憲法改正に持ちこみます。
また集団的自衛権(衆院、参院で7日間の協議)は公明党が
かなり粘りました。もし、自民党と民主党と連立与党だったら、
もっと通りやすい法案になっていたと聞いています。
>借地借家法や刑事訴訟法・・・変更の山でしょう。
補足事項があるので、書きます。
変更の山になるかというと、自民党の憲法草案が
(立憲主義に反するばかりか)ひどすぎるからです。
ただ、私はこれは自分の頭で考え、記事にするのは
法律の知識がないので、無理です。
その意味でも、桝本さんにお願いしたいと思います。
私案を読ませていただきましたが、私が是非盛り込んで
ほしいと思っていた同姓婚公認へのステップや、差別をなくす
内容が入っていたので感動しました。
憲法改正するなら、このような意義ある草案を出してほしいです。
坂井さん、残念ながらご要望に応えられません。
私は地方公務員時代、行政事務に携わってはいましたが、主に関わったのは、地方自治法、地方公務員法、地方税法、公職選挙法、児童福祉法など自分の担当分野のその中でも限られた部分です。
おかしいと思われるかもしれませんが、担当しなかった、戸籍法や住民基本台帳法(住民票)を読んだことすらありません。
文系の中でのちゃらんぽらんの風味が強い文学部、その中の異端児たる心理学(実験心理学)の出身者であった私は、法律独特の言い回しや「解釈」に苦労はしましたが、日本語が読めれば何とかなるものだと思ったものです。それは分野が限られていたからでもあります。
ところが、憲法が改正されたときに変えられるであろう法律は、琵琶湖と太平洋ほどの差があります。
民法だけでも条文が1000条を超えます。
改正される憲法が、現状変更を含めば、影響が及ぶ法律の裾野は広がります。
私が「憲法改正私案」で「大きな現状変更を伴わない」を方針の柱としたのは、憲法の条文にぶら下がる法律の変更を最小限にしたいと考えたからです。
しかし私の努力もそこまで、その先は大学の研究室にゆだねたいと思います。
桝本さん、再度、ご教示いただき感謝申し上げます。
>おかしいと思われるかもしれませんが
全くおかしいと思いません。どの分野も全てのことが分かるのは
無理です。憲法学者に刑法学者と同じ理解を求めようなものだと
思います。
(例えば、アベノミクスですが(どちらかというとケインズ的
政策)、大体理解できたのは、私が専攻した分野がケインジアン
だったからです。ゲーム理論については、よく分かりません)。
桝本さんが書かれていたように、憲法は法体系の頂点(根幹)です。
>憲法が改正されたときに変えられるであろう法律は、琵琶湖と
>太平洋ほどの差があります。
>民法だけでも条文が1000条を超えます。
こういう肝心なことを、多くの方は知らないと思います。
私も当然知りませんでした。
憲法に法的拘束力があると過信してしまうのです。
>憲法の条文にぶら下がる法律の変更を最小限にしたいと考えた
>からです。
おそらく憲法の下の法律の変更を、最大限にしてしまった自民党の
草案と大違いです。
安倍首相、改憲マニアの船田さんとか大丈夫なのでしょうか?
>「ただし憲法第9章に定める緊急事態が効力を有する間は
>この限りではない」とかなんとかいっぱい入ると思います。
懸念されるのは、平成24年4月27日に「急に盛り込まれた
緊急事態」です。
緊急事態は下の法律はありますか?
(下手なご冗談の草案は、ルサンチマンが溜まった野党時に
主に日本青年社主導で作られたものです。
途中まで、下の法律と矛盾が出ることを安倍首相は知らなかった
のではないのでしょうか…)