インターネットをNHKが導入した20年前の思い出
今でこそNHKの公式ウェブサイト「NHKオンライン」の左上には20週年アニバサリーが誇らしげに輝いている。しかし公式サイトがオープンした1995年より1年速く、1994年に僕は苦労してNHKの番組の中でインターネットにつないでサイトを作り、放送を出しました。言ってみれば先駆者、日本で最初にNHKにネットを導入したのは、ほかならぬこの僕なんであります。えっへん。これはちょっと先見の明が会ったというか、自慢させてもらっても良いんじゃないでしょうか。
といっても僕は当時34歳の一介のディレクターに過ぎません。何の権限も力もない。まだWindows95が発売になっておらず、Macintoshを使わなければなりませんでした。「これからはインターネットの時代だ!イケイケ!」「おー!」と黒船来航にざわめく幕末の武士みたいに、よくわからないまま、プロデューサーである中村の哲ちゃんの号令にしたがって突き進んで行きました。しかしながらNHK上層部では、この黒船に危機感を抱いており、テレビ離れが起きるのではないか、コンテンツの保護はどうなってる? 放送法上の放送に当たらないから禁止すべきでは、といった保守的な意見が主流でした。反主流となると一層燃え上がる中村の哲ちゃん。ディレクター陣に広岡篤哉、吉田直久、熊田健、と新しいもの好きをそろえ、リーダーシップはMITから帰ったばかりの中谷日出がとりしきります。
「このままではNHKは世界に10年遅れる!」中谷のアジテーションは煽ります。僕の役割は、原則インターネットの番組利用厳禁、という局内の上層部に交渉し、なんとか許可をもらうことでした。つなぐことそのものに中々クビを縦に振らない責任者を連れて、当時数少なかったISプロバイダーであるI I J 株式会社に足を運び、理解を求めました。ようやく2週間限定で、「公開」ではなく「実験公開」という形での了承を取り付けました。この1994年の段階で、何らかの形でインターネットを扱ったのはたった3本の番組でした。「NHKスペシャル〜インターネットとは〜」「SIMーTV(教育テレビでの実験放送)」そして我らが「N H K 週刊こどもニュース」の3本です。我々はフィンランドの子どもたちと絵を交換するなど、今思えば単純な使い方でしたが、それでも双方向性はきっちり表現して、みんな驚きました。
その頃は小さな「インターネット管理委員会」というのができたばっかりで(「推進委員会」じゃなくて「管理委員会」というところに、消極性がみられますが)www.nhk.or.jpのドメインの使い方も決まっていませんでした。僕は週刊こどもニュース用に一つディレクトリを作ってもらい、サブドメインももらいました。www.nhk.or.jp/kdnsでウェブページが世界に発信されたのです。ウェブページは「番組実験用だから放送終了後2週間以内に閉鎖すること」といった今では信じられない制約もありました。でもメールアドレスもスタッフ全員にさっそく割り当てられました。池上彰さんだったらikegami@kdns.nhk.or.jpといった具合です。視聴者からのお便り募集もハガキ、FAXに加えて、otayori@kdns.nhk.or.jpを番組上でアピールしました。
時は流れWindows95が発売になると、一般家庭にもどっとインターネットユーザーが増えました。番組への視聴者からのお便りも、インターネットからのものが急増。子どもたちの方が、新しいメディアに馴染むのが早かったようです。しぶしぶといった感じで重い腰を上げたNHK上層部も、公式ホームページの立ち上げに取り組みました。開設当初のサイトは、ぐちゃぐちゃで訳の分からないデザインでしたが、次第に洗練されて来たようです。午後9時台の生放送では、Twitterで視聴者の声を取り上げ、そのまま放送するという意欲的な演出にも取り組んでいます。ここまでN H K のインターネット利用が積極的になるとは、とても思えませんでした。やがてメールアドレスは職員ごとに割り当てられ、ikegami@kdns.nhk.or.jpもsugie@kdns.nhk.or.jpも、今では使えないアドレスになっていますが、レジェンドとして忘れずにいたいと思います。
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