安部政権の独裁は逆に日本人の心にデモクラシーの火を灯した

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国会前0830

革マル派でも中核派でもない(我ながら例えが古いな)、民青や国労・動労でもない。共産党でさえない、ごく普通の若者たちが、SEALDsというグループを作って、国会前で安保関連法案反対のデモ活動をしました。すぐにSEALDs関西など全国規模に広がり、全国各地でアンチ安倍政権の街頭演説が始まりました。中高年のMiddles、高齢者のoldsも自然と作られ、戦争法案反対のただひとつにポイントを絞って市民が集まり、国会議事堂を取り囲みました。その数は主宰者発表で12万人。

日頃はお上の言うことには逆らわず、羊のようにおとなしい日本の民衆が、さすがにこれはヤバイと立ち上がったのです。シャイな日本人がデモをするのは極めて異例のこと。平成に入って最大規模のデモとなりました。昭和30年代〜40年代の安保闘争が学生運動によるデモとして投石など暴力的だったのに対して、今回のデモはヘルメットの必要もない、非暴力に徹したものでした。

特筆すべきことは非暴力だけではありません。特定のイデオロギーに導かれたものではなく、セクトも思想も関係ありません。ただひとつ「安倍政権が憲法に違反したまま安保関連法案を強行採決するのは許さない」というシンプルな政治へのメッセージがあるのみです。この一点にこだわり、怒りと主張を表現しているのです。

政治家は憲法にのっとって法律を作るのが仕事です。いかなる権力者より上にあるのが憲法。中学校の公民でも習います。それをこともあろうに安部首相は、憲法9条に違反したまま(日本中の憲法学者の190人以上が憲法違反と言っているのに、安倍さんは自分の息のかかった合憲と言う憲法学者を3人連れてきて、それで通してしまった)衆議院で強行採決したのです。まもなく参議院も通過させる見込みです。

これはさすがに認めてはいけないだろうというわけで、一般市民が立ち上がりました。「バカにしないでよ!」「私達そこまで無知じゃないわよ!」と声を上げました。「いくらなんでも積極的に国外へ出て行って戦争に参加するための法案なんて認めた覚えはない」。昨年末の衆議院選挙で自民党は17パーセントの絶対得票数でありながら、数字のマジックで安定多数を占めました。この数による多数決を振りかざしているのです。しかし当時の自民党の謳い文句は「アベノミクス、この道しかない」でした。もっぱらアベノミクスによる経済発展を強調するばかりで、集団的自衛権のシの字も出ていませんでした。だから自民党に投票した人も騙された気分になっているのです。

それだけではありません。NHKをはじめとしたマスコミに圧力をかけ、特定秘密法により国民の目をあざむく安部首相のやり方は、独裁者を彷彿とさせるものがあります。僕は仕事柄、個人的に安倍政権によるマスコミへの介入、言論統制が一番危険だと思っています。安倍政権に反対する理由は人によって様々です。原発の再稼働反対にこだわる人、防衛費の拡大に反対な人、『日本会議』のような戦前回帰の風潮に反対する人。こだわりのポイントは人それぞれ異なっても、憲法違反の法案を強行採決したら、日本は法治国家じゃなくなってファシズム国家になってしまう。この一点だけは民主主義市民として、断固阻止して立憲主義を守りぬきたい、その思いはみな同じなのです。

デモに参加すると就職にひびくのではないか、とビクビクしながらYahoo!知恵袋に訊いている学生がいました。そんなビクビクする奴こそ採用されません。現に昭和の安保闘争をやった連中は、のきなみ社会人になっても成功しているのです。社会への関心の広さ、自分の頭で考える能力、実行に移す行動力。僕が採用担当者だったらデモに参加した人から優先的に採用したいくらいです。

坂本龍一さんはスピーチに立ち、「マグナ・カルタ」や「フランス革命」にも匹敵すると述べました。これは褒め過ぎだろうという声もありましたが、実は日本人は自らの血となり肉となる民主主義を培った経験がこれまでなかったのです。日本国憲法でGHQお仕着せの民主主義を、貸し衣装のように身にまとい、民主主義国家を標榜してきました。これがなかなか良く出来ていたものですから、借り物という意識は薄く、日本オリジナルのように感じていたかもしれません。しかし民衆が立ち上がる、これが本来の民主主義の原点です。その意味では、坂本龍一さんがフランス革命を例に出したのも、決して大げさではないと思います。

今、ようやく日本人も自分の足で民主主義に到達し、民主主義が血となり肉となる第一歩をあゆみはじめたと、僕には非常に感慨ぶかいものがあります。

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4 thoughts on “安部政権の独裁は逆に日本人の心にデモクラシーの火を灯した

  1. たぶん来週になされるであろう参議院での可決成立後の運動の継続に注目したいと思います。
    来年7月の参議院選挙まで継続され、自公連立与党(注目は公明党の大物が選挙区で落選する)が大敗し、敗因が投票率、特に18歳以上20代の投票率の大幅な増加ならたいしたものです。

    1. そうですね。デモクラシーに火をつけただけではなく、その火を消すことなく継続していくことが830を生かしていく上で最も重要だと思います。法案可決となるとガッカリして意気消沈するようでは困ります。
      新たな論点を加えるべきかどうかは判断が難しいところですが。

  2. 少なからぬ人には、安保闘争の繰り返しに見えてると思います。暴力的ではなく熱さもあれほど無いですが。安保闘争がデモクラシーであった、そういう見方もあると思います。その後の日本で安保が長く維持された事から、あれは民意を反映したものでは無かった、という見方もあります。私の見るところでは、安保闘争も今回のものも、理想論対現実論の激突と見ます。何かに火をつけたのは間違いないでしょう。みんながよく考えて今後の選挙に生かしていけば良いと思います。

    1. 60年安保、70年安保と2015年安保はまるで違うと思います。60年、70年安保は反米帝というイデオロギーがあったし、それは米ソ冷戦のなかでソ連のしかけた社会主義革命の手先に過ぎなかった。だから親米が勝ち、まるく収まった。
      2015年830は、純粋に国内の問題として、憲法そのものが論点になった。
      この二つは、どこも似ていないと思います。

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