やはり「イスラム国」は洗練された新国家の樹立をめざしている?

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昨年8月僕が「イスラム国」という名称を初めて耳にした時、第一印象を、「イスラム国」という日本語の呼称に違和感を感じるのは僕だけかというブログを書きました。この名称は過激派武装テロ集団にはふさわしくない。その響きはなんとなくイスラム教徒にとっての理想郷をイメージさせる。まるで世界中のイスラム教徒が善良に暮らす国家のようだし、そういう統一国家にこそふさわしいファンタジックな名称だ。と述べました。

その時点で僕は「イスラム国」をアルカイダから分派したより過激な、新種の国際武装テロ組織としか認識していなかったので、ブログではもっぱらニュースでのその呼称に対して、違和感を唱えているのみでした。

しかし全く謎の存在だった「イスラム国」について徐々に情報が入ってくるに連れて、ナゾはますます深まり、9月には「イスラム国」は今までに無かったタイプの国際テロ組織へと変貌するという、とんでもない仮説を立てて、その分析を開始しました。この時に僕が知り得た情報は極めて断片的でした。インターネットを使った全世界の若者への洗練されたアピール力に注目し、1970年代の日本赤軍まで引っ張りだして、世界同時革命資本主義の終焉をキーワードに、時代の閉塞感と、持って行き場のない若者の反体制パワーが引き起こす構造で解き明かせないかと試みました。

この時は突飛な分析かと思いましたが、なんと半分は危惧していた通りでした。日本人の北大生の渡航計画、カナダでの銃乱射テロ、そして今朝のニュースではパリ新聞社での銃乱射テロと、世界分散独立型テロ(僕が思いついた造語です。911が一国集中指令型テロなのに対してそう考えました)が発生しています。

なんとか理解しようと考えた僕は、11月に「イスラム国」をイスラム教徒の目線で分析してみたというブログを試みましたが、イスラム教に詳しくないために不完全燃焼で終わりました。

そしてなんと!

ロレッタ・ナポリオーニさんが「イスラム国 テロリストが国家をつくる時」という本で、ほぼみごとに僕のナゾを解き明かしてくれたのです。そうです。ユダヤ人がイスラエルを建国したように、イスラム教徒たちがイスラム大国家樹立に動き出したかもしれないというのです。バグダディはアルカイダの失敗を、米国という「あまりに遠い敵」に第二戦線を開いたこと考え、ジハードに「建国」の意味を初めて持ち込んだのだといいます。領土をとり、石油を確保し、経済的に自立。支配地域には、電気をひき、食糧配給所を設け、幼児に対する予防接種まで行います。その最終目標は、英仏によってひかれた中東の国境線をひきなおし、失われた真のイスラム国家を建設することだということですから、今までに無かったスタイルです。

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ぜひ、みなさんもこの本を購読してみてください。そして読解力不足の私めのコメント欄に、ご教示いただければと思う点が一点ございますのでお願いします。実は私にはここまで読んでも未だ謎なのです。なぜそれが残虐な暴力という形を取らなければならないのか? テロリズムが必要悪だというところが、どうしても私には解明できないのであります。

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One comment to “やはり「イスラム国」は洗練された新国家の樹立をめざしている?”
  1. ユダヤ教を祖とする「一神教」は、自分たちが支配者であれば異教徒に寛容ですが、被支配者で少数派である限り「非寛容」にならざるをえません。
    古代ローマの歴史が明快に物語っています。ユダヤ教徒もキリスト教徒も、ローマ法に順じローマ市民となることを「是」としませんでした。世俗の法律が「神の預言、律法」に反するのならば、従うことは背信行為で死をもって償う以外無いからです。
    したがって、イスラム教徒=ムスリムは、イスラム法が支配するイスラム国家に「支配者」として居住するしか選択肢がないのです。
    彼らが、キリスト教徒の支配のもとで、いくら「信教の自由」を法律上ゆるされても、実体法や社会習慣がイスラム法に反するのであれば、それらを拒否するしかありません。
    ムスリムによるこれらの「拒否」は、政教分離とはいえ、欧米型=キリスト教型「法治主義」にとっては、違法行為でしかありません。
    また少数派であるムスリムにとっては、実体法に沿う生き方はイスラム法に抵触するので不自由きわまりなく「どこが政教分離じゃ、信教の自由やねん」と毒づくことは仕方がありません。
    この具体例は「ハラル」だけをみてもわかります。和食の野菜料理を食べることも、出汁や下ごしらえに「酒」が使ってあれば「ハラル」ではないので、和食を食べる自由はムスリムにはありません。

    このような意味で、「イスラム国」のいう、「欧米による国境を否定し、イスラム教徒がひとつの国となる」という主張は、多くのイスラム教徒の共感を得ることは疑いがありません。
    ただ、スンニ派とシーア派という対立、民族対立という矛盾は「ひとつのイスラム」で解決できる見込みはありません。
    中東のシリアやイラク、ヨルダンが「イスラム国」化されることがあっても、安定にはほど遠いでしょう。むしろ、イラン、トルコ、クルド人、サウジアラビアとの対立が先鋭化すると思います。北アフリカに飛び火すれば、リビア内戦、エジプトとの対決が待っているでしょう。

    最も恐るべき事態は、イスラム国がイスラエルを包囲する勢いとなったときです。イスラエルは決して彼らを承認しないし、地理的に隣接することも許さず、緩衝地帯を軍事力を駆使して作ろうとするに違いありません。「イスラム国」とイランの本格戦争すら画策するかも知れません。

    親欧米の国際社会がギリギリ良しとするのは、「イスラム国」が、現状にとどまる、シリアとイラク北部の支配は仕方が無いと言うところではないでしょうか。

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