5月35日天安門事件から25年

天安門
なぜ今日の日付を6月4日と書かずに5月35日と書いたのか。それは「六四天安門事件」と書くと中国共産党の検閲によって中国国内のインターネットでは検索できず表示されないからだ。中国当局は事件があったことは認めているものの、詳細については闇に葬り去ろうとしている。これでは民主化が進むわけがない。

とりあえず「天安門事件」でググって下さい。と言いたいところですが、簡単に思い出しておきたい。完全武装の軍隊が自国の民主化運動のデモ隊に無差別に発泡し、公称300人以上、ニューヨークタイムスによると少なくとも400人から600人以上の虐殺を行った事件である。それが北京の天安門広場を中心に行われたから、そして25年前の今日、6月4日未明にピークを迎えたから天安門事件と呼ばれている。

よく勘違いされがちなのが、これが天安門広場だけで起こった数百人規模のデモだったというトンデモナイ誤解だ。日本人でも若い人たちの中にはそう思っている人もいるかもしれない。事件の半月前に戒厳令が出された時点で、日本政府は邦人を中国から退去させたし、CNNを除くすべての外国の報道機関も命の危険を考えて逃げ出したから、虐殺を正式に目撃した外国人は極めて少ない。しかし天安門の虐殺そのものは突然起こったものではなく、長期にわたる中国の民主化運動の高まりの結果、それを押さえ込む象徴のように行われた中国政府の行為なのである。

もちろん天安門広場だけではない。北京だけではなく上海など中国全土に100万人規模で広まっていた民主化運動のデモであった。まさに政権を握る党本部の在り方が問われ、国を二分するような状況が作り出されていたのだ。そのような政治的状況にあって軍隊の銃口を自国民に向けさせた行為は、人権侵害として世界中から猛烈に非難された。今でもことあるごとに中国が世界各国から「人権問題の解決を」という表現で改革を求められるのは、この天安門事件のことを暗に示しているというわけだ。

僕がなによりも残念に思えたのは、現代の中国国民の間に広まっている「あきらめ」の感情だ。今朝のNHKのニュースでも、高校生の息子を銃殺された母親がインタビューに答え、「怒りというよりも、仕方がないと思っている」と述べていた。あれ以降、中国国内では本当の意味でのデモや民主化運動は誰も起こそうとはしていない。あたりまえである。僕だって怖いから嫌だ。銃撃された息子は証拠隠滅のために病院へも運んでもらえず、死を待って穴に埋められた。

中国国民の関心はもっぱら人権問題よりも、経済の発展の動向に向いている。経済的に豊かになれるのなら、人権は二の次、三の次でかまわない。それが国民の正直な感覚だろう。人権問題を考えるようなインテリは、逆に天安門事件の記憶も知っているから、怖がって決して自分から動こうとはしない。誰だって命は惜しい。だから僕は彼らを責める気にはなれない。

ただ25年たって事件を風化させ経済問題にだけバカ浮かれしているのと、事件を良く知っていて問題視しながら息をひそめているのでは、泥と雲くらいの差がある。後者が増えてくれればいいが、前者が増えているようであれば、かの国の民主化はますます遠ざかっていると言わざるを得えない。またまたよその国の話なのに、大きなお世話だと思いつつも書いてしまいました。

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为什么写了35天可能会在未经书面ろく月よん日当天的日期。 这是因为没有看到不能由中国共产党审查的搜索互联网在中国的时候我写了一个“ろくよん天安门事件”。 中国政府已经认识到,有一个事件,但我即将离开埋在黑暗中获取更多信息。 没有理由在这个民主化进程。

在“天安门事件”请Gugutsu暂时。 这就是你想说的话,但我想很容易地记住。 全副武装的军队肆意泡沫对国家的民主示威运动,它是由超过600 400人至少有300人以上的名义ぎゃくさつ的情况,并根据纽约时报。 这是今天在25年前被称为天安门事件,因为见顶凌晨ろく月よん日,它是,因为在北京举行绕天安门广场。

一个经常被误解的很好,这是离谱的误解,认为奈是几百人示范规模发生这种情况只在天安门广场。 有些人可能会有这样的想法在年轻人中的日本。 当在半个月案发前发出戒严,由中国日本开除,因为我跑了外国媒体所有,但美国有线电视新闻网也认为生命的危险,日本政府正式见证ぎゃくさつ外国人很少。 但是,是不是有什么事发突然,在中国长期不断增长的民主运动的结果,天安门ぎゃくさつ本身是中国政府,这是执行的,这点不放一个符号的行为。

它不仅是当然的天安门广场。 这是一个已经广泛百万人规模遍及中国和上海以及北京的民主运动的演示。 党总部夺取政权的性质也遭到质疑究竟,平分的情况他已经建立的国家。 这给了对他们的公民军队的枪口在被从激烈的谴责世界各地侵犯人权的政治局势的行为。 中国的改革是需要在声明中来自世界各地的每一次它与デモ现在“解决的人权问题”,我的意思是暗示天安门事件。

我似乎也不好意思首先,它的感觉是普遍的中国人的现代“放弃”之间。 今天上午甚至NHK的新闻,他的母亲被枪杀的高中生的儿子接受采访,并说,“而不是愤怒,并认为没有其他选择”,他说。 任何更新的,你没有任何人试图唤醒民主运动的示威和在中国的真正的意义上。 是显而易见的。 我恨我什至害怕。 甚至不能携带到医院销毁证据,已被枪杀儿子被埋在一个孔,等待死亡。

不是人权问题,中国人的兴趣正面临着经济发展的趋势完全。 如果你能成为富人经济,不要紧,在未来二次,三人权。 这将是人民的淳朴感觉。 知识分子,如想在人权问题,因为我也知道了天安门事件逆向记忆,也不会试图从他们从来不害怕让步。 每个人的生活是遗憾。 因此,我不能让自己责怪他们。

并和你快活傻瓜才经济问题风化只是站在’25事件,如果你想你皱眉的气息,而有问题的,如果你是熟悉的事件中,有大约云泥的差别。 而不是被迫说后者我应该给我的增幅,但如果前者似乎在增加,卡诺州的民主化和远离越来越多。 我会写它,而我认为虽然它是国家的故事在其他地方再次,这不关你的事。

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2 comments to “5月35日天安門事件から25年”
  1. 今でもこのシーンは鮮明に覚えています。職場を転々として中国人従業員と働く機会がありましたが、タブーとしてあえて口にはしませんでした。多分職場のPCで天安門と打つだけであの絵は出てきますから、多分聞かなくても知っていることでしょう。
    話した感じでは中国共産党と国、自分を使い分けて器用に生きている気がします。

    • 智慧さん、コメントありがとうございます。
      たしかに僕も中国の方とよく仕事をしますが、皆さん器用に使いこなして生きていますね。
      それはそれ、これはこれ、ということなのでしょうか。

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