スッチー物語

恥ずかしながら僕、Yukiや土方さんの世代では、

合コンでも相手がスッチー(旅客機の客室乗務員女子)だとウハウハしちゃったもんであります。
当時のスッチーは今の女子アナみたいなもので、女子大生のあこがれの職業のトップクラスでした。当然男子も群がり、スッチーたちはそれなりにエリート意識を持っていました。

でも各国のキャリヤ(航空会社)を見ていると印象は様々。
タイ航空やガルーダ航空のスッチーはモデルなみに美貌で、家柄も王族クラスのエリートしかつけない職業、と噂どおりでした。
反対に、アメリカ系キャリアのスッチーは無愛想でマッチョであまり花形職業とは感じられませんでした。
先輩の説によると「スッチーの美人度は、その国の航空機の発達度に反比例する」とのこと。
飛行機がバス代わりに使われているアメリカでは、スッチーはバスガイドみたいなもんだ、というわけで妙に納得した記憶があります。

ちなみに男子にとっても花形職業であったのが、JALのパイロット。これを見ていると女子だけがミーハーだったわけではないんですね。たしかにカッコイイにゃ、と思い、僕もなりたいと思ったことが。。。あったような気が。。。
今ではスッチーの仕事の過酷さや肉体労働であることが知られていて、昔ほどミーハー騒ぎではなくなりました。
パイロットも給与の大幅見直しが行われ、また自動操縦のテクノロジーが発達して昔ほど操作も難しくなくなりました。

ところで!
僕が子どもの頃(昭和30年代)は将来の夢を聞かれて、電車の運転手、と答える子どもも多かったようです。
(当時はJALのパイロットは空軍を引退したアメリカ人が多く、あまり採用募集がなかったからかもしれません)
何百人もの乗客の命を預かり、高速で突っ走る乗り物を一人で制御する運転士の責任感と洗練された技術は、小学生男子にとって憧れだったのもわかります。
実際に、それはジャンボジェットの機長と同等の栄誉と尊敬を集めるにふさわしい、高度な専門職なのです。

いつの間に、電車の運転士を人々は尊敬しなくなったのだ?

ジャンボジェットの機長には、キャーキャー言うくせに。
操作の複雑さには差があるものの、何百人もの乗客の命を己の一身に預かって、命がけで高速の乗り物を扱う、その責任感には差はないはずです。

昔は三公社五現業という言葉がありましたが、国鉄は現業の一つでした。「現業」とは現場業務の略で、役人にとっては管理業務ではなく、現場で肉体を使って働く職業という感覚でしょうか。この言葉もなんとなく国鉄マンのイメージを下げたのかもしれません。
管理業務は上、専門職は下、というイメージが定着したのは共通一次試験により、東大法学部、各大学医学部を頂点に、ピラミッド型のヒエラルキーが確立された時期と重なります。
少子化による大学全入のこの時代においても、医学部などへのエリート大学に対する進学熱は変わりません。

人の命を預かる、と言う意味では心臓外科医にも匹敵する責任の重い職業であり、断固として規定を守り抜く、という使命感は裁判官にも匹敵する職業でもある。
それが電車の運転士という専門職なのです。
それなのに法学部や経済学部を出たエリート官僚、エリート事務職に、専門職は使われっぱなしで、リスペクトされることが少ないような気がします。

「専門職をリスペクトしよう!」

最後に、もう一度スッチーとバスガイドの話に戻ります。

今の時代に英語をしゃべれる女子大生は、ぼくらの時代より格段に増えています。何も出来ないけど英語だけはペラペラ、という就職浪人が大勢ひしめき合っていて、僕の周りにも何人かいます。
体力があって荷物棚に手の届く身長があればスッチーになれる人たちがごまんといます。

ちなみに2002年、サッカー観戦にイングランドから来た友人を、鳩バスにのせてあげたところ、
「彼女は天才だ。あんなに多くの観光地の知識を暗記しているとは信じられない。そして若くて美人で親切(ハート)!」
とバスガイドを絶賛しておられました。

あなたのコメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください