47年以上生きてきて、初めて救急車で病院に搬送された。
あまり気持ちのいいものではないですね、患者の立場になってみると。

車椅子

7月20日(火) かかりつけの医者からもらっていた薬が完全にきれる。
        なんか嫌な予感がする。

7月21日(水) 朝、自分でパンを焼いて食べ、それが最後の普通食となる。
        どんなに体調が悪くても、食欲だけは落ちない体質なのに。
        さらに嫌な予感がする。

7月22日(木) 朝、自分でパンを焼いたが食べる気がせず、
        めまいがして仕事を休む。
        やはり切らしてはいけないと言われた薬をきらしたのが原因か。
        恵比寿まで3駅、15分、それを取りに行く気力がない。
        妻に薬をもらってきてくれるように頼み、
        保険証と診察券を預ける。
        「次に恵比寿に行くの27日だけど、それでだいじょうぶ?」
        ときかれて、うん、と答えたのが敗因だった。
        夕方に妻がクノール・カップ・スープを作ってくれた。
        それが最後の流動食となる。

7月23日(金) 朝、いつものように妻を起こすためのコーヒーを入れる。
        それが台所に立つ最後となる。
        空腹なのに水を飲んでも嘔吐し、めまいがして仕事を休む。
        さいわい休日だった妻が、一日つききりで看病してくれる。
        午後、妻が台所でチキンと大根の煮込みを作り始めたころ、
        ベッドで嗅覚の麻痺した僕は、もうろうとした頭で、
        「やはり今すぐ薬をもらってきてくれ!」と頼む。
        妻が恵比寿に駆けつけたが診療休。そういえば祝日だった。
        がっかりしたと同時に、意識が遠のく、午後4時過ぎ。
        気がつくとストレッチャーにくくりつけられ、
        済生会病院へぴーぽぴーぽ。

        点滴で意識と歩行困難はまもなく回復。
        その夜の友人のライブと翌日に約束していた会が気になり、
        妻に携帯を渡す。
        ER医師から臨時の投薬と
       「すぐに主治医の診療を。それまで自宅安静」
        との指示を受け、午後9時に帰宅。
        自分でおかゆを作って食べるだけの気力が回復していた。
        
7月24日(土) 朝一番、妻が主治医から薬をもらってきてくれた。
        妻が作ってくれた昼飯を食べ、薬を飲み、
        ぐっすり一眠りすると気力も戻った。今に至る。

病院

意識がもうろうとしていて、この3~4日の記憶がほとんどありません。
んで、覚えていることを、事実関係だけ、今のうちにメモしてみました。
どうせ主治医の診察を受ける27日(火)まで、家を出られませんしねバッド(下向き矢印)
パソコンでもやってます。
ご迷惑をかけた方、約束を守れなかった方、本当にすみませんでしたm(__)m

妻の愛で救われました。
ハート「病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも」ハート
と誓う結婚の本当の意味について、しみじみ考える良い機会になりました。


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