今だからこそ言論の自由を考えてみる


フランスパリの新聞社襲撃事件をみて、いたずらに「言論の自由に対する忌むべきテロ」だと非難するだけでよいのだろうかと考えてみる。

欧米のキリスト教徒はイスラム教徒にはキリスト教徒と平等な権利と自由を与えているという。
だがはたして本当にイスラム教徒は「自由」で「平等」だろうか。
キリスト教徒、いや日本でも、イスラム教徒が、その他の多数の異教徒と同等の権利や自由を享受している、苦労せず安心して生活できる環境が保証されてはいない。
そのことは食べ物に関する「ハラル」を見ても明らかだ。調味料や下ごしらえにワイン、酒、味醂などアルコール飲料を使う洋食にせよ和食にせよ「ハラル」ではないので、イスラム教徒はフランス・イタリア料理も和食も食べることはできない。もちろん豚肉上等の中華料理は無理だ。
これが欧米型民主主義社会、たとえばフランスが自国のイスラム教徒に与えている「平等な権利と自由」だ。

一方誰にでも「言論の自由」が絶対的・無条件に与えられているかと言えば、実はそうではない。
たとえばドイツでは、ナチスやヒットラーを賞賛する言動とか、ユダヤ人など多民族を誹謗する「ヘイトスピーチ」や差別表現・言論を禁止している。
表現・言論の自由の制限と言ってよい規制をなぜ受け入れているかといえば、人々・国民が合意したからだ。
しかし、イスラム教徒が少数派であるヨーロッパで、これらに類する表現・言論の制限に関してイスラム教徒の合意を得たとは思えない。
「言論は言論で」「表現には表現で」立ち向かえばよいということは、社会の少数派であるイスラム教徒には不利は明らかだし、偶像を描くことに絶対の禁忌がある彼らには「風刺画表現で対抗する」ことは不可能といわねばならない。
ムハンマドはもちろん、現存するイスラム教指導者への「嘲笑」などの表現には断固反対するという彼らの「考えと行動の自由」に配慮して、何が許され、また許されないのか合意は形成されていない。ドイツにおけるナチス賞賛と同程度の苦痛をイスラム教徒に及ぼしていることに考えが及んでいない。
つまりフランスやヨーロッパにおいて、イスラム教徒の側からみれば、言論・表現の自由は著しく不平等であるか、全くないと言っていいのかも知れない。

共和国フランスの国是は自由、平等、博愛である。
しかし自由は人々の平等に、平等は博愛に依っているはずだ。相互に依存関係があり、平等が損なわれた自由はゆがんでいるし、博愛が失われた自由はいわゆる「弱肉強食」であり不平等である。
自由・平等・博愛の相互依存のバランスを保つためには、価値観の違う人間集団の中で、不断に対話し、お互いの尊重によって、社会の規範や日常インフラを誰にとっても納得できるものにして行くべきだろう。

我々は、イスラム教徒と真剣に話し合って、イスラム教徒が「これがなくてはまともで人間的な生活ができない」「これは耐えがたい苦痛である」という生活の基本的な社会インフラが何かを、世界の標準基盤としなければなるまい。huusiga

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4 comments on “今だからこそ言論の自由を考えてみる
  1. 「イスラム国」をイスラム教徒の目線で分析してみた
    http://ysugie.com/archives/3457
    にも書きましたが、「自由」という言葉の意味とその認識が、イスラム世界と欧米世界とでは根本的に違うのだと思いますね。
    汚らわしい豚肉を食べずにすむ自由。偶像を描かずにすむ自由。毎回の礼拝ができる自由。「イスラム世界における自由」と「欧米式自由」は悲しいすれ違いを起こしているのだと思います。

  2. ネットから拾ってきた「風刺画」はキリスト教「三位一体」をバカにした敬虔な信者なら怒り心頭か、見るも汚らわしいものですが、なぜか許容されています。
    この現代キリスト教徒の信仰心レベルをイスラム教徒に求めるのは乱暴です。

    都市計画における「区画整理」では、絶対不可侵と言われる私有財産権をみんなの合意のもとにちょっとずつ削って、住みやすい道路などのインフラに振り向けます。
    同じような「自由」「権利」の削り方があってもいいのではないかと思います。

    • 日本の仏教徒でも平気で「車がオシャカになった」とか不謹慎な使い方しますからね。
      ちなみに「聖☆おにいさん」という漫画、ブッダとキリストが「パンチとロン毛」ってキャラで出てくるギャグで面白いですよ♪
      寛容度の問題だと思います。多様性への寛容さが、今後、様々な局面で重要になってくるでしょうね。

  3. 刑事ドラマ、捕物帖時代劇で「どれ、じゃあ、ホトケを拝ませてもらうか」といいながら惨殺死体を見ますからね。ホトケ=ブッダ=お釈迦様と入れ替えてみると「で、ホトケの身元は?」は爆笑ものです。阿弥陀仏やら毘盧遮那仏をどれほどパロディーにしても平気な「何でもありの日本仏教」でも、法然、親鸞、空海、日蓮をパロってしまうと不快感を示されるんです。特に日蓮の扱いには注意を要します。

    なお「聖☆おにいさん」は10巻まで全巻あり、アニメ映画もちゃんと映画館に観に行きました。あのコミックでも、ムハンマドの「ム」すら出さないところは賢明なのです。意地の悪い見方をすれば、彼が天界にいない、イエスやイエスの父さん、ブッダとつきあいがないのだということが「どうなんだ?」となるところなのではありますが。

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