池上彰氏は朝日新聞にイロハのイを教えた

n-DEFAULT-large570

 

この夏、天下の朝日新聞が大揺れに揺れた。戦時中の慰安婦問題について32年前から大々的に記事にしてきた内容が、事実に基づかない記述を多く含んだ大誤報であり、朝日新聞社自身もそれが誤報であることを認めたのだ。

朝日新聞はさっそくこの誤報がどのようにして生まれ、紙面に載ってしまったのか。慰安婦問題について伝えるべき真相とは本当はなんだったのか。正しくはどのように報道すべきであったのか。これらを報道機関の威信にかけて徹底的に検証し、誤った記事はどの部分でどう訂正するのかといった具体的な記述によってあらためて真実を白日の下にさらけ出し、読者国民の前にまず誤報についてハッキリと謝罪するとともに、本来報道すべきであった真実をわかりやすく説明する責任があった。

2014年の8月5日と6日の朝日新聞の特集記事で、「慰安婦問題を考える」と題して自分たちの過去の誤報に対して、徹底的に検証を行い、謝罪と訂正をし精算するつもりだった。(少なくともそのつもりは多少あっただろう。後にも書くが僕は誤報そのものは、そんなに重罪だとは思っていない。キチンと謝罪して正しく訂正すれば許されるべきだと思っている。ニュースには誤報はつきものだからだ)。しかしあろうことか朝日新聞はそれをしなかったのだ!

今回、「虚偽」と判断したのは、吉田清治氏の証言。氏が自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」などと証言したと朝日新聞大阪本社版朝刊が1982年9月2日に報じました。その後も朝日は吉田氏に関する記事を掲載しました。

これについて今回、「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」と書いています。裏付けできなければ取り消す。当然の判断です。

ところが、この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。

こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。この時点で、証言の信憑(しんぴょう)性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。

池上さんの言葉をあえて引用しておきます(9月4日版新聞ななめ読み

今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです。

朝日の記事が間違っていたからといって、「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。

でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。

さて、僕が書きたかった本題はこれから。

皆さんは上記の池上さんの「新聞ななめ読み」の原稿を読んで、朝日新聞への感情的な怒りや痛烈な憎しみなどを感じただろうか?僕はむしろ朝日新聞に対する愛を感じた。いやしくも報道機関に務めるものとして、まるで新入社員の研修のように基本を教えているのである。「証言があやしかったら裏付け取材はしなさいよ」「過ちを認めたら訂正してお詫びしなさいよ」「事実の前では謙虚になりましょうね」

こどもをあやすようなこの文面を持ってして、朝日新聞の幹部は「このまま掲載することはできない」と池上さんに告げたのです。何でも書いていいと言ったのに、自社に都合の悪いことはダメだというものだから、池上さんとの信頼関係は崩れてしまいました。

「池上彰の新聞ななめ読み」というコラムは、朝日、読売、毎日、産経を各社の記事を横断的に見ていき、同じ事柄でも書いてある新聞によってはこんなに内容が違うんだ、と気づかせてくれる大好きなコーナーです。いわばメディアリテラシーの入門です。時には朝日の記事を批判してみたり、毎日の記事を褒めてみせたりしても、朝日新聞社はさすが日本のメディア界全体の向上を期待しているのか、怒ることもなくおおらかで余裕さえ感じさせてくれました。これがなくなるとしたら個人的に残念です。

今回の連載中止騒ぎで、池上彰ファンクラブを主宰する僕のところにも、様々なメッセージをいただきました。たいていは池上さんの真意をただしく受け止めているようです。でも中には池上さんが慰安婦問題について独自の見解を述べるのではないかと期待する人もいました。もちろん池上さんは慰安婦問題の専門家ではありませんから、そんなことを書くわけがありません。珍しい例では、そもそも慰安婦問題自体が無かった、とか朝日新聞は嫌いだからスカッとした、と書いてくる人もいました。池上さんは「慰安婦と呼ばれた女性がいたことは事実です」とも書いています。

池上さんは慰安婦問題の専門家ではなくメディアの専門家です。今回はそのメディアの基本「言論の自由」「メディアの客観性」について、あらためて筋を通し、大失敗を犯そうとする朝日新聞に今一度言論人としてのイロハのイを示してみせたわけです。決して俗に池上無双と呼ばれるような大立ち回りをやったわけではなく、淡々といつもの池上さんがいつもどおりのことをやっただけだと僕は感じているのであります。

###

9月11日の謝罪会見について(9月15日追記)

6 comments to “池上彰氏は朝日新聞にイロハのイを教えた”
  1. 「警察の威信」とか「病院・医局の威信」「政治家の体面」「ブランドに傷がつく」こういうことを恐れるあまり他のことが見えなくなった、つまりは「目がくらんだ」のです。
    目がくらむと、パチンコ・スロットをはじめ競馬・ボート・相場などの博打にはまった者と同じでしょう。
    朝日新聞は「反権力の朝日」という、とうに価値を失い今や泥舟と化したブランドにしがみついて案の定沈んだのです。

    • 桝本さん。朝日新聞が泥舟となって沈んだかどうかは、あの会社の中で何が起こっているのかわからないので、まだ僕には断言できませんが、ジャーナリズムの根幹に関わる部分で危機に瀕するほどの異常な状態にあることだけは確かなようです。

  2. メディア全体が「朝日新聞叩き」をやって溜飲を下げ、知らず知らずの内にメディア全体が時の政権の「空気を読んで」自己抑制を働かせて、戦前の体制翼賛会のような国が国民を指導するような世の中になってゆきそうな気配がして、とても恐ろしい気がしています。 大人の国は、自立した個人が家族、地域、市や町、県を作り国の出番は一番最後です。 日本は自らの暮らしを「時の政権」という「お上」にゆだねている、アジア諸国の中でもまだまだ「大人になりきれていない国民」でもっともっと、知性と理性を磨いて大人になってもらいたい。池上さんが「新聞ななめ読み」にカムバックすることが、メディアリテラシーを復権させることであり、ジャーナリズムのあるべき姿は、「時の政権」にすり寄る事ではなく、どんな政権になっても「時の政権」を批評し続ける事が使命だと思います。 朝日新聞以上に時の政権に批評し続ける「東京新聞」や「毎日新聞」に関心を向けないで、「朝日新聞」だけを叩き続けるのは「メディアの狂気」としか言いようが無い。「言論封殺」はまわりまわって日本国民全員に戻ってきます。 ぜひ池上さんには、朝日新聞の「新聞ななめ読み」にカムバックして頂きたい。  移住(国内・海外)コンサルタント 金子より

    • 金子恒夫さん、コメントありがとうございます。
      まさに金子さんのおっしゃる通りだと、僕も思っていたところです。

      このところの全体主義的な朝日新聞バッシングはあきらかに行き過ぎで、逆にジャーナリズム全体に対して危惧を覚えていました。
      「朝日新聞だけが悪いのか」と題したコラムを、池上さん自身が今発売中の週刊文春に発表していて、話題になっています。他のメディアに朝日新聞たたきをする資格があるのかと鋭く指摘しているので、よかったらお読み下さい。

  3. 「22年前、証言の信憑性が揺らいだときに、なぜ検証しなかったのか」。これでしょうね、朝日にとって受け入れがたかったのは。つまり、この時点で朝日も証言が怪しいと思ってたけど「まあ、いいか」で今まで来てしまった。過ちを認めたくなかった。

    池上氏が書いていることはごく穏当なのに、掲載拒否という過剰反応を示したというのは、そうとしか考えられません。

    • 奥山犛牛さん、コメントありがとうございます。
      確かに痛いところを突かれたくなかった朝日の対応はお粗末でしたね。
      まあ他のメディアでもやっていることではありますが。

あなたのコメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください