朝日新聞謝罪は見事な話題のすり替え作戦だった

木村イリョウ

朝日新聞の木村伊量社長が9月11日、謝罪記者会見を開くというので、僕は注意して見ていました。第一印象はあれれ? という感じでした。「吉田調書」誤報に関してあっさり謝罪したのに比べて、「慰安婦問題」誤報のほうはオマケという感じでまともに検証しなかったからです。

おいおい、話はそっちかい?! 世間が今注目し、世界にも影響を与えるということで大騒ぎになっているのは、池上彰氏が批判コラムの原稿を封殺されそうになって連載中止を申し入れたことでも話題になっている「慰安婦問題」誤報の方でしょう。なにしろ32年間も誤報を放置して、世論をミスリードしてきたのだからはるかに責任は重大なはず。なのに木村伊量社長はいつまでたってもその話題に触れようとはしない。謝らなくてもいいレベルの「吉田調書」報道の「命令違反撤退」誤報についてばかり大仰に謝罪して、肝心の世界を揺るがす「慰安婦問題」32年間の大誤報についてはだんまりを決め込んでいました。

たしかに全編A4で400ページにものぼる「吉田調書」については、その全貌が明らかになれば原発再稼働問題に大きな影響を与えるし、国民の関心度も極めて高い今最もホットな話題の一つである事は確かです。だけど今回木村伊量社長が誤報として謝罪している、事故当時に東電の所員が退避したか退避しなかったか、なんて話題はハッキリ言ってどうでもいい。(該当の所員のみなさま、ごめんなさい、みなさまの名誉のためにはどうでもよくない話ですが、ここはあえてどうでもいいと言わせて下さい)。むしろ官邸しか入手できない極秘文書である「吉田調書」を入手したのは、朝日新聞の特報部社員による調査報道としての手柄だと言ってもいいくらいだと思っています。

とにかくそんなどうでもいい誤報の話を持ち出して、原発再稼働問題の話と従軍慰安婦問題の話という全く別の話題を抱き合わせで、一緒くたに記者会見するという木村伊量社長のやり方自体が、うさんくさいと僕は感じていました。案の定うやむやのうちに「慰安婦問題」32年放置の大誤報の検証はわきに追いやられてしまいました。そこまできて僕は、しまった!やられたな!と気がつきました。組織の論理は組織を守るために働くとい言います。この見事な作戦で、今触れられると致命傷になる「慰安婦問題」から世間の目をそらし、微罪の方に注目させることで体制を守ったのです。

こんな目くらまし作戦がどこまで通用するでしょうか。報道機関は信用が命です。懸命な朝日新聞読者は今、目を皿のようにし耳を研ぎすませて、朝日新聞社がジャーナリズムの精神に則った健全な体制に生まれ変われるか見極めようとしています。前にも書きましたが、誤報そのものは大きな失態ではありません。どの新聞社もテレビ局も山のように誤報を生み出しています。誤った報道をしてしまったら速やかに検証して、訂正、謝罪をキチンとすればいいことです。誤報はかまわないけど捏造は絶対にいけません。要は事実をしっかり確認し、有益な情報をねじ曲げずに伝え、言論の自由を確保する。ただそれだけのことです。

ただそれだけのことが、なぜ朝日新聞にはできないのか、僕には不思議でたまりません。保身に走らず徹底的に検証してみせる事、必要があれば解体して産まれなおすぐらいの勇気が、今求められていると思います。

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【10月9日追記】この会見の擁護にはなっていませんが、朝日新聞だけが悪いのか・SPA!も併せてお読みいただければと思います。

One comment to “朝日新聞謝罪は見事な話題のすり替え作戦だった”
  1. そうです、そうです、あの会見を見ていてずっとつきまとった違和感がそれでわかりました。
    「撤退命令」に反して待避したと報じたのに、「命令そのものがでていなかった」ので誤報だったすみません、ということがあれほど物々しい会見を開くほどの問題とは思えなかったのです。
    「従軍慰安婦の強制連行」報道には裏付けがなく誤報だった、という本命を追及する質問は、「吉田調書」誤報と一緒くたにした「第三者委員会」にゆだねるとしてスルリと逃げられました。
    朝日新聞もずるいが、「第三者委員会は別々にするのか」とつっこまなかった会見場の記者もイマイチだったとするしかないでしょう。

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