愛してる、と言えない訳

眠れない夜に、ふと思い出してしまった。

かつて妻に、あなたはなぜ愛してると言わないのか、と訊かれた際に「日本語として変だから」と答えたことがあった。
その答えは非常に彼女の機嫌を損ねた。

今にして思うと、やっぱり「愛してる」という言葉は、日本語としてあまり情緒がある言葉とは思えない。

チャットする、パソコンする、メールする、、、。
名詞に「する」をつけた、いわゆるサ行変格活用の動詞は、最近になって無理矢理作られた、新語や外来語の、いわば間に合わせ、にわか作りの日本語であると僕は思っています。

食べる、飲む。
殴る、蹴る。
泣く、笑う。
悲しむ、喜ぶ。
怒る、惚れる。

。。。などなど、、、昔からある日本語の動詞は活用形からして「~する」といった動詞とは異なっています。
これらの言葉はとてもシンプルで、誰もがほぼ誤解無くその意味を理解できて、気持ちがスムーズに伝わります。

いや、なにも「名詞+~する」の動詞が、日本語として間違っていると言うわけではありません。

たとえば、うんこする、という時。
これも「名詞+~する」の動詞です。
でもこの場合、僕も皆さんも「うんこ」という名詞に対して、明確なイメージと概念を、おそらく共通して持っています。
それが大前提としてあります。
だからこそ、うんこする、という動詞はスムーズに相手に伝わるのであって、コミュケーションとしてお互いに誤解を生ずる心配はいらない日本語です。

チャットする、という時も、「チャット」という名詞に対して、僕がイメージするものと、皆さんがイメージするものは、ほぼ同じ概念だと思います。

極端な話、ミクする、と言ったような変な日本語でも、ミクシーをやってる人同士なら、互いにだいたい意味が通じます。
それはお互いに「ミクシィ」という名詞の持つ概念に、共通の認識があるからではないでしょうか。

振り返って話をもとに戻しましょう。
愛する、という動詞を自分が使うとき「愛」という名詞の概念に対して、自分と相手に共通の認識があることが欠かせません。

もし、互いに違うものをイメージしていたら、それはコミュニケーションとして成り立ちません。
チャットする、とうんこする、を取り違えるにも等しい大きな誤解を生ずる危険性さえあって、日本語として使えたものではありません。

僕は自分が思っている「愛」という概念の属性(ほとんど解っていないので極めてあいまいで、未だに自信がない)と、妻の頭の中にあるであろう「愛」という概念のが同じものである、という確証が持てないでいたのです。

ああ、僕はそのことをキチンと説明したかったんだよなー。
とふつふつと考えています。

「寝てる?」
「いや、起きてる」
という会話ならできます。

「私のこと好き?」
「好きだよ」
という会話もできます。

「惚れてる?」
「うん、惚れてる」
という会話もできます。

でも、
「愛してる?」という質問には、僕は答えられない。

今でも答えられない。

ちなみに愛、という日本語には、ちゃんと動詞もあります。
「愛でる(めでる)」という動詞です。
花を愛でる。
といった具合にに使われるのは、ご存じの通りです。

僕は妻に対して、君のことをめでるよ、という表現はなんとなく適切でない気がしたのです。
これって、僕が日本語に厳格すぎるのでしょうか?
でも厳格な言葉で、気持ちを伝えたかったのです。

LOVE………

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