「美しい日本」ってどんな日本?

美しい日本1

「美しい日本」を再建する。この言葉の甘い響きに僕は単純に魅力を感じていました。ある二つのおぞましい事実を知るまでは。イノセントに己の文学的趣向で捉えていたのです。戦後の日本はドサクサの焼け野原から始まりました。勤勉な日本人のたゆまぬ努力で死に物狂いで日本を復興させ、GDP世界2位の高度経済成長を成し遂げました。その流した汗はキラリと光る尊いものであり、美しいものではあります。クルマからファッションまで、工業国の頂点を見せつけることもできた。それはそれで美しいものです。

だが日本という国は、本当に戦後のドサクサから、なにもないところ、文化的背景も何も無いところからスタートしたわけではない。戦前の優れた日本文学に心を寄せる時、はるか千年の平安・室町・鎌倉時代の古美術品に思いを馳せる時、日本の伝統的文化が不連続的に今に至っているのを確かに感じます。決して第二次世界大戦で「全て」を失ったわけではない。日本人としてのアイデンティティは脈々と生きている。そのことを今一度振り返り、戦後史一辺倒の歴史感から脱出して再評価する。それが「美しい日本」を取り戻すことだと、僕は能天気に構えておったわけであります。

美しい日本を再建、大いにけっこうなことだと。ーーーそれが大きな落とし穴だと知ったのは、つい最近のことです。安倍政権の目指す憲法改正は、前にもブログで書きましたが、

安倍内閣を操る最大の右翼集団『日本会議』の存在が不気味だ

にあるように、彼らの目指すのは室町時代の美術でも戦前の優れた日本文学でもなく、単に「大日本帝国憲法」の王政復古だったのです。それが何より証拠には、自民党の憲法改正草案は野党時代に極右集団「日本青年会」の手によって書かれたものであるということです。基本的人権も大きく後退しています。彼らの言う「美しい日本」とは「国粋主義」であり「神風特攻隊」だったのです。このままでは、とてもじゃないけれど国民の目に晒すわけにはいかないでしょう。

これを知ってしまった以上、甘いセンチメンタルなど吹き飛んでしまいました。日本はまず戦後を精算することです。古美術品も日本文学も慌てなくても逃げて行きません。外国に変な言いがかりをつけられないためにも、謝罪すべきところはする。否定すべきところは否定する。話を一緒くたにしないで気持ちの良い外交ができないものかと、つくづく思います。

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9 comments to “「美しい日本」ってどんな日本?”
  1. 自民党による憲法改正案には、たとえば「家族」への執着が見られ(前文と第二十四条への追加としている)、それは時代錯誤であるばかりではなく、議員や資産・資本の世襲を正当化する「家系・家名」への憧憬が明らかに見て取れます。
    まあ、一族の誰かが「シャブ」とか「パンツ泥棒」「暴力行為」でつかまったら、お家断絶、当主は切腹というのならわからんではないですが、江戸時代は「美しい日本」からは除外されていそうなので、そういう汚いものには蓋をした「美しさ」だと言えます。

    • 江戸時代こそ、一族による幕府が300年も続いたことで、海外からも驚かれる完成度の高い封建制度だったのではないでしょうか。江戸の美はザンギリ頭にはない特色があったと思います。

  2. 杉江氏の意見に付け加えるならば、

    大多数の国民に、さも「よきこと」のように捉えられている『明治維新』の歴史的意味を再検証する必要があるのではないでしょうか。

    司馬史観と巷でいわれている、ひとつの歴史観があります。
    司馬遼太郎さんの『歴史小説』、たとえば『坂の上の雲』、つまり司馬さんが創作したフィクションを歴史的な事実だと誤解して、明治維新に始まる大日本帝国の発展途上期をこの国の正しい黎明期だとして、遅れてきた帝国主義を実践していったというこの国のネガティブな面を無視して反省もなく賛美するような歴史観ですが、多くの国民が事実だと信じているその歴史観に冷徹なメスをいれないと、たとえいま、日本会議による戦前回帰の陰謀を排除することができたとしても、いずれまた同じようなことが起こるのではないかと思ってしまいます。

    明治維新から昭和の初めに軍国主義が台頭するまでの、近代日本の本当に素晴らしい時代だったと思われているその明治、大正という期間に、既にこの国が70年前の崩壊に向かった原因の種が蒔かれていたということを理解することなしには、現状の正しい認識もまた不可能かと思います。

    • 明治維新を美化する傾向は、ドラマでも見られますね。でもフィクションはフィクションとして楽しむに留めて、正確な歴史認識を持たなければなりません。
      無血開城などと言っていますが実際は血みどろの戦いでした。五箇条の御誓文で全てが変わったように捕らえられがちですが、全国で一揆が絶えず、外交も何もかも不安定だった時代なわけです。
      川嵜さんのおっしゃる「遅れてきた帝国主義」とはまさしく一言でで明治時代を表す表現だと思います。列強諸国が帝国主義への反省を始めた頃、今更のように遅れてきた帝国主義に熱中したわけです。世界史的観点からすれば、それ以外の何物でも無いのに、未だにこの時代だけは日本の歴史小説の世界で甘く語られるような風潮に、厳しくメスを入れていかなければと思いました。

  3. 100万都市の江戸の治安が南北奉行所所属のわずかな役人の手で維持されていたのと、東京になってから、武士の失業対策の意味があったにしても、警視庁の警察官の数が爆発的に増えざるを得なかったことを考えても、明治維新が「血なまぐさい野獣性」に満ちていたことがわかります。
    明治政府が決別したのは「太平の世」であったのは確かです。

  4. 国宝級の美術品も仏像も工芸品も売り飛ばして、政府がよしとしない寺社は荒れ放題。西洋の旅行者が美しさに驚嘆した江戸の町並み景観も破壊。
    どれほどの「国富」が流失したやら。
    西洋化で、それまでの「日本人的」魂を売り飛ばした明治政府がおこなった唯一と言ってよい功績は、外国語・概念の翻訳=新熟語作り。これは日本語のままで大学教育をうけ、自然科学でも人文学部門でも、西洋の最新学問水準に到達できる基礎を築いた功績としてよろしい。

    • 明治維新によって開国した日本は、米、英、仏、欄に比べて自国がまさしく発展途上国であることを思い知らされます。そのコンプレックスと焦りから「富国強兵」に走ります。その姿は美しいというよりも滑稽だったでしょう。追いつけ追い越せと焦る思いから、自分たちが遅れてきたにも関わらず、時代遅れの帝国主義を進めていった。「富国強兵」という過ちを、戦前の日本は既に犯していたのです。

  5. 昨夜(11月7日)のテレ東「美の巨人」は明治の彫金工芸の超絶名人「正阿弥勝義」の話でした。
    http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/151107/
    悲しかったのは、ラストのナレーション、「海外で人気を博し、注文が殺到した日本の工芸品は、生産が追いつかず、やがて粗製濫造で品質が下がり、廃れていきました。作者も晩年は借金を重ね不遇のうちになくなりました」
    明治政府の「日本の力=美しい日本」の何たるかへの無知のおかげで、現代では再現不可能といわれる超絶技巧が失われたのです。
    きちんと工芸技術の伝承、組織化ができないという欠点は、現代の中小企業の技術継承発展への無策ぶりにも通じます。
    岡倉天心とフェノロサがいなければもっと悲惨な状況になっていたでしょう。
    希有な「成功」といわれる明治政府の産業振興も一度徹底的に総括する必要があります。

    TBSの日曜ドラマ「下町ロケット」の痛快さにも通じます。中小企業は個別には、ちっぽけな存在ですが、産業技術というくくりでは非常に強力な「日本の力」でありそこで働く就労者こそ「日本の美」なのだと思います。

桝本隆 へ返信するコメントをキャンセル

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